2006年第5回  WBCが終わったら?

 (ワールド・ベースボール・クラシック)で日本チームが優勝したことをうけ、関係者は、近年下降気味といわれていた野球人気の回復を目論んだ。はたして、パ・リーグの開幕戦3試合では入場観客数が10万人を超え、日本プロ野球の思惑どおりWBCでの盛り上がりを国内リーグに持ち込むことに成功したかに見えた。
そう、そのときはそう見えたのだが……。
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 WBCの運営方法は、さすが唯我独尊アメリカの面目躍如だった。
 収益金の分配を、初めからアメリカが多く得ることになっていたのは、彼らが提案者であり、主催者であり、会場の提供者であるから、その報酬を受けるのは当然だと考えていたからなのだろう。リスクを負う者が利益を得るというのは、正しいビジネス・モデルである。
 たとえ、誰もアメリカにリスクを負うことを求めたわけではない、にしてもだ。
 彼らは、ベースボールというスポーツを広く世界へ拡げるために、その発祥の地であり、世界最高にして最大のプロ・リーグ()を保持しているアメリカが世界大会を主催しないで、いったい、どこが主催するのか、と考えたことだろう。これは、主催しようとする意欲の問題ではなく、主催できるかという可能性の問題であり、主催しなくてはならないという責任の問題となる。アメリカこそが、その義務と責任を負わねばならないのだ。
 なんという余計なお世話か。

 彼らは、のこの正しいモデルを引き続き堅持するために(=経済的優位性を保持し続けるために)、このベースボールに対する責任感のために(=アメリカが世界最高のベースボール国家であると誇示するために)、二回目以降もアメリカで開催しようとしている。
 開催地変更を求める声には、アメリカ以外では球場への入場者数に不安があると答えているが、今回の大会において、球場に足を運んだファンは予想したほどではなかったはずだ。実際、日本対メキシコ戦は会場の半分ほどしか埋まっていなかった。
 むろん、たとえば韓国において同様に日本対メキシコ戦を行なったとしたら、今回よりも入場者数は少なくなることだろう。しかし、入場者数が少なくなるから他では開催しないという考えは、もっと世界にベースボールを普及しようという大会の大義名分と矛盾していまいか。
1994年に、サッカー不毛の地といわれたは開催されたが、その結果、かの地のサッカー競技人口は(女性を中心として)急増し、2002年のではベスト8にのこるほどの強豪国に、サッカーにおけるアメリカは成長した(ちなみに女子は世界トップクラスである)。これこそが、普及ということではあるまいか。実例は、目の真ん前にあるのだ。
 入場者の問題は、どの国で開催するのかということよりも、どこのどの選手が出場するのか、ということのほうが重要なのではないだろうか。今回のように、アメリカのプロ・リーグ所属の選手たちに数多くの出場拒否が出ているようでは、入場者数は今後も伸びないだろう。
 もちろん、ベースボールというスポーツに興味が全くない国、たとえば東欧諸国で開催してもダメだが、仮に台湾やドミニカが会場であったらどうだろうか? 野球が最高の娯楽だといえる国々だ。国際大会を開催するだけのインフラがないというのだろうか? では、日本やキューバだったら?
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 において、日本のマスコミに取り上げられていたのは、、あるいは参加しなかったであって、すでにアメリカ・メジャーリーグで活躍している選手やメジャー指向の強い選手たちばかりだった。たとえば、バント失敗とホームランを繰り返し、流のスモール・ベースボールの犠牲者とも言えたは、浮き沈みの激しかった日本チームの成績を体現した選手ともいえるが、彼に焦点をあてられることはなかった。
 は日本チームの紛れもない中心選手なのだから、当然といえば当然なのかも知れないが、話題の軸は、実は日本の野球ではなく、だった。
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 グローバリゼーションが資本主義の前提であるなら、当然それは、プロ野球の世界でも進行しており、マスコミからすれば、だろうとだろうと関係ない。商売として利益を得るのはどちらか、という選択であって、それが資本の原動力である以上、それを棚上げしてプロ・スポーツを考えることは、たんなる怠慢となる。
 野球の「普及」とは、そういった問題を連れてくる。すでに世界化しているサッカーが悩んでいるように。
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 昨年を席巻したかのように言われている「スモール・ベースボール」であるが、それを、小技と機動力を駆使した日本式野球と同義に捉え、での日本チームの優勝を、その潮流にのった出来事であるかのように考えているとしたら、それは誤りである。そのような考えは、いまMLBで最も活躍して認められている日本人選手がであり、そのプレイの特徴が巧打・俊足・強肩であるということと、今回のでバントといった小技やラン&ヒットのような機動力をより多く使いたがる日本チームが優勝したという事実、(更に付け加えるなら、昨年の日替わり打線の日本シリーズ優勝)が生み出したコンプレックスを現しただけにすぎない。
 昨年のMLBチャンピオンであるが、というか監督が自チームの戦術を「スモール・ベースボール」と標榜したわけであるが、その実態は、たまさか小器用に右打ちやバントをこなしてしまうように見えるという日本人がチームに入ってきたことと、チームにいわゆる長距離ヒッターが少なかった(いなかったわけではない、念のため)ことによって生じた、結果論的な言葉のまやかしに近い。
 そもそも、井口は右打ちは出来ても、バントは(日本の基準でいうと)あまりうまくない。東都大学リーグのホームラン記録保持者で、最盛期のダイエー・において、あたりと中軸を組んでいた打者が――というか、そんな経歴の選手でさえ、それなりに小技を見せてしまえるところに、日本野球の不思議さはあるのだが――前面に出てきてしまう程度の「スモール」であって、その程度の「スモール」は多くのチームが実践していることで、なにもホワイトソックスの専売特許であるわけではない。
 かつて、が「ID野球」を標榜してで一時代を築いたが、当時でも、「ID」(インプット・データ)という行為は、どのチームでも行なっていたはずのことで、肝心なのは、そのデータを実際に使いこなせるのかどうかだったはずなのに、その「ID」という行為自体が野村スワローズの特徴であるかのように言われていった。今回の「スモール・ベースボール」も、そのような言葉の一人歩きの一例にすぎない(その言葉の使い方も、広い意味でチーム戦略なのかも知れないが……)。
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 今年、残念なことに、その「スモール・ベースボール」に振り回されているチームがある。他ならぬ、原監督ひきいるである。個人成績ではなく、あくまでチームの勝利を最優先させるという意図もあってのことなのだろうから、振り回されているという表現は正しくないのかも知れないが、にバントをさせるのは、明らかにやりすぎである。それを褒め称える、評論家たちもどうかしている。
 については、前回の監督時代、初年度日本シリーズ制覇、2年目リーグ2位、という成績だったにもかかわらず、不当にも、「読売グループ内の人事異動」という日本プロ野球史上稀に見る屈辱的な名目で解任されるということがあったので、今回の再任には大いに期待していたのだが、今年の采配に「ジャイアンツ愛」はあっても、「プロ野球愛」は感じられない。
 アジアや日本を代表するホームラン・バッターに、奇襲で、というならまだしも、通常の戦術としてバントを想定するなど、とても「プロ」野球の監督とは思われない。ジャイアンツ・ファンを自称するひとたちは、小久保がバントして勝つ試合のほうが、小久保の三振で負ける試合より楽しいのだろうか?
 ただ勝つだけなら、悪い意味で、高校野球と変わらないし、そのような、ただ勝つだけのプレイから、プロ・スポーツは生まれない。今年好調のジャイアンツだが、TV視聴率が芳しくないということは、ただ勝てばファンが喜ぶというわけでなないという、ささやかな証明である。
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 ファンを球場に呼ぼうと様々なイベントを企画し、懸命な努力しているのは、たとえば、マリーンズやといった球団やといった個人であり、本体といえば、セ・リーグが、パ・リーグのプレイ・オフの盛り上がりを見て、自リーグへの導入を検討している程度である。
 確かに、我々は昨年、リーグ2位のマリーンズがワイルド・カードでをやぶり、リーグ・チャンピオンシップでホークスに勝ち、日本シリーズでに圧勝し、をも制覇するという、ポストシーズン・ゲームの醍醐味を味わってしまった。マリーンズにぼこぼこにされたタイガースのファンはべつにして、多くの野球ファンはプレイ・オフの楽しみを知ってしまったわけだが、だからといって、半年以上たたかったレギュラー・シーズンで3位だったチームが日本一になる可能性のある現行のシステムを是とすることは出来ない。リーグ8位のチームにチャンピオンのチャンスがあるよりはマシだが、レギュラー・シーズンを単なるプレイ・オフ進出チーム決定リーグ戦にしてはいけないだろう。
 本末転倒な考え方なのだが、プレイ・オフを充実させつつレギュラー・シーズンを無意味なものにしないためには、チーム数を増やし、一つのリーグを二つないし三つの地区に分けて、ポストシーズン・ゲームを増やすしかない。地区優勝チームがリーグ・チャンピオンを争うというシステムである。これは、が採用している方法だ。
 チームを増やすと、新チームの力量が劣り、リーグ戦の面白みが減る可能性もあるのだが、昨年の加入のときのように、他球団が必要以上に選手をプロテクトするような狭量なまねをしなければ、そう問題は起こらないはずだ。同時にドラフトもウェーバー制を徹底して、戦力の入り口は均等化しておいたほうが良い。サッカーのように、移籍が様々な理由で、様々な方法で、数多く行なわれるのであれば、ドラフトのウェーバー制はなくともよいのだが、プロ野球にそこまでの自由はない。自由がないのは、ひとつに入団の際に支払われる多額の契約金のせいで、極論すると、プレイしなくとも高額の報酬がもらえるなら、誰もプレイなどしないということだ。
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 ポストシーズンや代表の試合が素晴らしかったからといって、レギュラー・シーズンでも、あのテンションで闘ってほしいと願うのはファンの勝手だが、実際に毎試合、あの緊張感の中で試合をしていたら、選手の肉体も精神も壊れてしまうだろう。日本シリーズやワールドカップ、オリンピックといった試合が白熱するのは、それが期間限定の短期決戦大会だからである。4試合勝てばいいとか、一ヶ月で7試合行なうといった目標がはじめから明確だから、普段以上の緊迫感にも耐えられるのだ。
 その緊迫感を一年中求めてはいけない。むろん、理想としては、毎試合完全燃焼であり一球入魂なのだが、長丁場をたたかうには、メリハリが必要だ。力を抜くことを認めるということではなく、力の加減を覚えて欲しいということだ。
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……評点7.0
 なんだかんだ問題はあったし、課題も山積みだが、開催したという実績は認めなくてはいけない。
……評点9.0
 なんだかんだ問題はあったが、なにはともあれ、初代チャンピオンなのだから、これくらいの点数は当然。満点でないのは、内容がイマイチだったから。
……評点3.5 
 昨年のスト騒動から、あまり学んでいないようだ。現場の不安や切迫感を感じていないのか?