02年4月30日 読書
ジョナサン・キャロルの『天使の牙』読了。ジョナサン・キャロルの名は以前から耳にしていたけど、その作品を読んだのはこれが初めて。この十数年間、仕事にかまけて読むべき本を随分読まずにきたもんだと改めて実感。
3月31日の雑感を、と改題してに追加。

02年4月29日 ゴールデンウイークは・・・つらい3
駒場校で授業終了後、遅い夕食を摂るために、きっちねっと(名前、あってました)に向かう。んが、既に暖簾が上がっている。店内で数名がまだ食事中だったので、タッチの差ではあったらしい。先週は夜だけ臨時休業だったので、これで2週連続で振られた。駒場問題、未だ解決せず。ということで、立川まで我慢して、モノレールの立川南駅傍の立ち食い蕎麦屋へ。この店は立ち食い蕎麦屋なのに、麺にもつゆにもこだわりがあり、天麩羅類も揚げたてを使用していて下手な街の蕎麦屋より断然うまい。お気に入り。んが、既に暖簾が上がっている。店内で数名がまだ・・・。
祝日で両店とも営業を早目に切り上げたらしい。

へこむ。

02年4月28日 ゴールデンウイークは・・・つらい2
11:00より千駄ヶ谷で模試の検討会議。事前に提出されていた原案の出来がどれも良く、会議は2:00には終了。予めこのことは予想されていたので、先に小金井公園のフリーマーケットに子供たちをつれ出していたかみさんと連絡をとり、2:30には中間地点の吉祥寺でおちあう。んでその1時間後には、井の頭公園で子供たちと足漕ぎボートを漕いでた。その後ゆざわ屋のおもちゃ売り場を覗いた後、立川に移動して夕食。ビッグカメラなど回って帰宅したらちょうど9:00。この間会議用の資料とノートパソコンが入った推計3kgオーバーのディバッグが背にあったことは言うまでもない。でもまだこっちの方がマシで、本当に洒落になってないのは、夫は仕事・子供は休み・自分の仕事は遅れるばかり、という三重苦に耐え続けなければならないかみさんだったりする。10日間耐久レース、まだ2日目。

02年4月27日 ゴールデンウイークは・・・つらい
ゴールデンウイーク中も、授業は平常通り。祝日に授業があることも、振り替え休日というものが存在しないことも平常通り。ゴールデンウイーク中の授業は山内の場合、5月6日の高校生の授業が1回お休みになるだけです。それどころか4月28日、5月5日と、日曜日に2週連続で会議が入った上に月末の原稿の〆切が。ところが、子供たちにはしっかりゴールデンウイークがある。周りの雰囲気に感化されてすっかりハイテンションになっている。このギャップを如何。

02年4月26日 明日からゴールデンウイーク
週の最後の授業を立川校で終了。ところが今年度の授業開始が金曜日だったために、内容的には一番先行したことをやっている。昨日の横浜校では浪人生の最初の授業だったのに、今日は現役生の3回目の授業。ちょっと感覚が狂ってとまどうところではあります。

02年4月25日 シーズン
横浜校で浪人生の授業開始。これで、やっと今年度の全ての授業の初回が終わった。

02年4月24日 いつも突然
パソコンはトラブルものであるというのは、10数年間思い知らされ続けて来たことではあるけれど、サイトのリンク切れが突然発生。修正しようとして深みにはまり、一時ページ自体がダウン。何とか復旧しましたが、費やした時間は6時間。今まで累計どれだけの時間をパソコン関係の復旧のためだけに無駄にしてきたかを考えると、悔しく虚しく人生の無常にすら思い至ってしまうのは、わたくしだけではないはずだ。でもパソコンと付き合うしかないんだよな。ある意味パソコンに支配されている。で、それがホントにいやかというと、そうでもなかったりするところが、なんだか。

02年4月23日 夏休みの終わりは、いつもたまった宿題に悲鳴を上げていた子でした
月末まであと1週間。月末が近づくと焦ってくる。何故なら、月末には、〆切がまとめてやってくるからだぁ〜。今月はあと4本。

02年4月22日 池の上にて
駒場校出講。井の頭線池の上駅で下車。池の上には大学3年から4年間住んでいた。あの頃は、将来こうして池の上駅を仕事で利用することがあるなどとは夢にも思わなかった。最後に住んでいた部屋は、取り壊されて新しいアパートが建っている。最初に2年間住んでいた部屋はまだある。駒場校に向かうとき、少し寄り道をしてその前を通ることがある。サークルの先輩から直接引き継いだ部屋で、その部屋に住むのは僕で3代目。渋谷にある大学から近いこともあって半分部室のように使われていた。引き継いで1カ月ほどは、新しい引っ越し先がうまく決まらなかった2代目の先輩と一緒に住んでいた。の『ペニス』にちらりと登場するNのモデルになった人だ。馬鹿話ばかりしていたような気もする。青臭い議論を僕がふっかけ、困ったように彼が受け流していたことがあったような気もする。忘れてしまった。とても大事なことを、とても簡単に忘れてしまう。それから10年ほどして彼が突然死んでしまった時には、ほんの短い間だけど一緒に暮らしたことがあるというそのことさえ、忘れてしまっていた。中村富由彦さんと僕が住んでいた部屋には今では別な人が暮らしている。時々その部屋の前を通ることがある。

02年4月21日 ごろごろ
休日だけは、張り切って早起きする次男に6時前に起こされるも、それから粘って布団から離れずうたた寝を繰り返し、やっと9時頃起き出して遅い朝食を採った後、午前中はウクレレをつま弾きながら、たまに子供たちの遊びの相手。昼食はシャブシャブの「どん」へ。780円なりの豚シャブランチを2人前だけ、頼む。この店は日曜もランチをやっていて1人前の量が多い上に、ご飯とうどんのおかわりが自由なのだ。しかも、今日は広告についていたサラダバーのチケットという切り札がある。家族4人、2人前のランチでたらふく食う。午後は、埼玉県入間市のスーパー銭湯「入間の湯」。入浴料大人500円、子供250円。
久しぶりに正しい日曜日。

02年4月20日 人はこうやって少しづつ
午前中、家の前の私道で長男とバドミントン。高2の秋にソフトテニス部を退部した後、経験者の友人に誘われて1年ほど、休日に時々市の体育館でバドミントンをやっていた。愛媛県の公立高校では、クラスマッチと称して各学期毎にクラス対抗の球技会を毎回2種目ずつ異なる競技で実施していて、バドミントンのクラスマッチもあり、その前には特に熱心に練習した。だから、私のバドミントンの腕は、部活などで本格的にやった人間にはとてもかなわないけど、少なくとも素人に毛の生えた程度よりはまし、と自負していた。今日までは。
ところが、小2の長男と遊びでやって、打ち込まれるスマッシュが全然拾えない。反応速度が明らかに低下している。最初愕然とし、やがてしょうがないとあきらめた。バドミントンの腕、今では素人に毛の生えた程度だ。こうした小さな経験を積み重ねていく中で、人間は自分の衰えに慣れ、年老いることを受け入れていくものであるのであろう、と少し哀しく思った。
でも、年のせいではなくて、単に不摂生でなまってしまっているだけだったり。

02年4月19日 立川は
近い。青梅線羽村駅から立川駅までは20分。横浜校の翌日が立川校なのは、正直有り難い。でも近いと近いなりの問題があって、立川校の生徒は羽村近辺からもかなり来てると。そうすると電車の中の私は、口あけて寝てたり、マンガ週刊誌を読みふけってたり、怪しげなタイトルの本に集中していたり、と完全に無防備状態であるのだけど、それを生徒に目撃されている可能性が高い。実際うちのかみさんには、息子が通う保育園のママさんたちからしばしば目撃情報が入るそうで、実は今日も、あなたはもうちょっと見られてるかもしれないと言う自覚が必要、と説教された。でもなあ、電車の時間って、貴重な息抜き時間兼読書時間なんだよな。
山内、目撃しましたか?

02年4月18日 横浜は
遠い。本日より横浜校の高校生の授業開始。午後1時40分に家を出たのに、校舎に着いたら4時だった。帰りは9時前に校舎を出たのに、途中で立ち食い蕎麦など食っていたら、うちにたどり着いた時には12時を過ぎていた。マヌエル・プイグの『蜘蛛女のキス』、まだ半分以上残っていたのに、読了。

02年4月17日 年内に新しい問題集が
午後より渡辺先生と、の大幅改訂版問題集を作るための打ち合わせ。対象大学に上智と青山を加え、1/3ほどを予想問題にしたいという出版側の意向で、各々8題づつ作問してそれを検討。新規作問八題。漢字で書けばたった6文字だけど(当たり前だ)、ここまで漕ぎ着けるのは、いや結構大変だったす。まだまだ予断を許さない状況ですが、うまくすると10月か11月あたりには出せるかも。

02年4月16日 ハイパー世界史ノート再開
作業を中断していたの製作を再開しました。まだ全然ハイパーではないですが、とりあえずから。

02年4月15日 河合塾駒場校近辺にて使える定食屋さんを発見
河合塾駒場校には駒場問題という問題があって、それは何かというと、近辺に使える定食屋があまりに少ないことであることは、駒場校に行かれたことがある人にはみな同意いただけると思う。特に、夕食の場合が最悪で、グリーン(高校生)の授業が終わって9:00近くなった時には、下北沢までわざわざ出なければどうしようもない事態におちいってしまうのである。
さて、私は今日、駒場校で第一回目のグリーンの授業があり、早速夕食をいかにして食うかという駒場問題に直面することになった。当初は下北沢に抜けようと考えたが、朝から会議があって、既に体力気力ともにぼろぼろになっており、これで下北沢まで歩くのはちょっとつらい。そこでまてよと思い出した。そういえば、春期講習で駒場校に出講した時、松蔭学園の桜を見ようと柄にもないことを思いついて井の頭線の池の上駅から駒場校に向かった道筋に、3カ月ほどであっという間に閉めてしまったカレー屋のあとに新しい店が開店準備をしているのを見たような、見なかったような。
大学生の頃からすでに若年性健忘症と罵られていた私の記憶力の減退は最近とみに著しく、この世で何が信じられないといって自分ほど信じられないものはなかったりするわけだが、とにかくこの怪しい記憶を頼りに、松蔭学園から池の上方面へ歩を進めた。

あったあったありました。「きっちねっと」という店名はそれこそうろ覚えで間違ってる可能性78ぱーせんと。しかし新しくこじゃれた定食屋は道筋に他にはないから店自体は間違えようがない。品のいいおばさんが一人でやってるこじんまりした店で、バックにはおちついたジャズ。サバの煮つけやら豚の角煮やらチキンカツやらの定食が夜の9:30までやっていてお代はいずれも1000円。ちょいと高いけど、時間を考えるとまあしょうがない。と思ってたら、メインディッシュの前に出てきたのが、小鉢、というには立派すぎる前菜3品。竹の子としいたけと里芋の煮つけに、卵豆腐の鳥そぼろ煮。そして、焼き茄子。

うんまい。

おばさん、これで1000円は、無謀でないかい。やっていけるのかい。「ええ、みなさんによく言われるんですけど。始めたばかりだし。」ここにはどうして店を出したの。「このビルのオーナーと知り合いだったもので、前の店が3カ月で閉めてしまったから、まだ新しいよと言われて」
駒場問題の劇的な解決に小躍りしていた私は、今度は強烈な危機感に襲われた。商売っ気が全くなさげなこの店が、またまた数ヶ月で閉まってしまうと、困る。非常に困る。
関係者のみなさん。「きっちねっと」です。店名は多分間違っていますが、以上の情報で見つけられるはずです。「ランチもやってるのよ、来てくださいね」ということなので、是非皆で利用して駒場問題の永久解決のために協力しましょう。ちなみに定休日は水曜日だそうです。水曜日の人は、まあ、しょうがないか。

02年4月14日 日曜日なのに
花粉症が悪化しダウン。レギュラー授業開始頃から悪化するこのパターンはなんとかならないものか。

02年4月13日 ウクレレ
ウクレレを入手。そういえば高校教員やってた2年間は、ギター部の顧問だったのだ。社会研究部と登山部とテニス部の顧問も公式、非公式にかけ持ちでやっていたから、ギター部にはなかなか時間が取れず、生徒と一緒にたまにギターを弾いてみてもダメダメだったけど。楽器に触れるのはあれ以来だから、10数年ぶり。超初心者ですが、ギターと違ってなんとかなりそうと思わせるものがこの楽器にはあり。でも、しっかり奥も深そだな。

02年4月12日 レギュラー授業開始
を追加。

02年4月11日 マンガにはまった日
昨日の「ヒカルの碁」アニメ特番の影響で、番組の続き(原作の7巻あたり)から、16巻まで原作のマンガを読み返してしまう。その後、「ARMS」で脚光を浴びた皆川亮一の「SPRIGAN]全11巻も読み返してしまう。「ヒカルの碁」→テレビ東京のアニメ→「ARMS」もテレビ東京でアニメ化→でも「ARMS」のアニメ版は「ヒカルの碁」と違ってひどかった→「SPRIGAN]を読もう、と、連想が働いてしまったらしい。不思議だ。

02年4月10日 小さな幸せ
今日は「テニスの王子様」と「ヒカルの碁」の特番。特番開始の7時までには食事をすませて風呂に入って、観るための準備をととのえておくことに家族決定。そのため、フラワーアレンジメントの仕事が入ったかみさんに代わって夕食を作る。例によってカレーである。今回はヨーグルトを加えてみた。風味が増した、ような気がする。子供たちにも好評。まずは良かった。「ヒカルの碁」も良かった。ものすごく原作に忠実に、丁寧に作り込んでいる。良い仕事である。

02年4月9日 学歴社会から学力社会へ
「ゆとり教育」をめぐる議論が何かと盛んになっていて、大勢は、ゆとり教育が学力不足の生徒を量産する、という方向の批判に傾斜している。それはそれで少人数化による構造不況に脅えてきた我々の商売にとっては追い風になっているけど、随分ピントを外れた議論も多い。
一昔まえ、二昔前に比べて、全体的に基礎学力が低下してきているのは確か。でも、塾・予備校・通信教育と学校教育以外の教育環境や教育技術は、以前に比べて格段に向上している。学校教育の現場でも、教科書などの教材の進歩は目覚ましい。最近の小学校、中学校の教科書ってホントよく出来ている。
だから、この10年ほどの学力低下現象の原因は、教育をする側ではなく、教育を受ける側の変化にこそある。教育を受ける側の、学習に対するモチベーションの低下、それが学力不足の最大の原因だろう。パワーエリートだったはずの国家官僚が相次ぐ不祥事でその威信を低下させ、大企業が相次ぐリストラ政策を打ち出してサラリーマン残酷物語が喧伝される中で、とにかく勉強して、良い大学に入って、役人になるか、良い企業に就職すれば、人生の勝利者になれるという単純な学歴信仰が崩壊した。その一方で、とりあえず食べる分には困らないという豊かな社会が維持されてきたのがこの10年だったとすると、勉強・学習に対する社会的なモチベーションが低下する一方だったのはしょうがない。
ところが、10年たって見えてきたのは、学歴社会ならぬ、学力社会の到来だった。
IT革命は、単純な事務処理を効率化する。それは、必要な人員数を削減できるということを意味する。ホワイトカラー(サラリーマン)の絶対量は、どんどん低下する。そうなると企業は、かつてのように高校や大学を卒業したばかりの新入社員を一括大量採用して社員教育を行うというコストのかかる方式を放棄し、必要な人材をそのつど雇用するという形態に向かわざるをえない。その時求められる人材は、ホワイトカラーとしての高度な能力と技術をはなから自前で所有する者に限られてくる。サラリーマンになれるのは、大学や大学院で高度な専門技能を身につけてきたものだけ、という状況が、すでに到来しつつあるのだ。一般的な企業社員以外の、大学での専門教育を前提とした専門職(塾や予備校の講師というわれわれの仕事もそうだ)では、実力主義の風潮はさらに強い。
しかも、変化する時代において的確な判断を下すには、基本的な教養がどうしても必要になる。(ここのところ、参照)。
これからの時代を生き抜いていくために、学力がかつてないほど求められるようになってきており、その認識は今後社会全体に広がっていくだろう。そうすれば、学力低下現象は、自ずから改善されていくのではないか、というのが私の意見。

02年4月8日 勉強は楽しい
本日より小学校2年生になる長男が、学校に行く前、新1年生歓迎式の時の自分の台詞を一生懸命練習していた。少人数の学校なので、2年生一人一人が1年生に学校を紹介する一言を述べていく。長男の台詞は、前の子が「給食はおいしいよ」と言うと、続けて「勉強も楽しいよ」。そう、勉強は本当は楽しいんだぞ、と。

02年4月7日 日曜日なのに
朝10:00より千駄ヶ谷で模試の検討会議。

02年4月6日 土曜日は
朝10:00より千駄ヶ谷で模試の検討会議。

02年4月5日 シャドウワーク体験
朝6:30起床。朝食の準備。7:00 子供たちを起こす。次男が「今日は保育園行かないんだ、一日中寝てるんだ」とごねる。なだめる、すかす、きれるして、やっと8:00 次男をママチャリに積んで保育園へ。
帰宅後、洗濯。
10:00 春休みで家にいる長男が、「おとーさん、どこに行こうか?」しょうがないので午前中の仕事を断念し、公園へ。TBS筋肉番付の「サスケ」にあこがれる長男に、アスレチックを付き合わされる。
12:00 近所の定食屋で昼食後、長男と洗車。
2:00 長男を何とかベネッセの添削教材の学習へ誘導。あと3回毎月の添削課題を出すと、キャンプ用のラジオ付きランタンが景品でもらえるので、俄然やる気になっている。こういう細かいノウハウの蓄積は、ベネッセ、さすがである。1時間ほど、長男の勉強を見てやりつつ、明日の会議のための資料検討。全然進まない。
3:30 長男をママチャリに積んで、スイミングスクールのバスの待合所まで。バスに乗ったのを見届け、そのまま夕食の買い物に。帰宅後、掃除、洗濯物取り込み。
5:00 次男を保育園に迎えにいく。自転車って気持ちいいよねー、と誘いかける次男に、今後のママチャリでの送迎を約束させられる。帰宅後、米をといでおいてから、今度は待合所まで長男を迎えに行く。
6:00 夕食の準備。メインは、鶏肉と大根、ニンジン、ゴボウの煮物。
7:00 夕食開始。不評である。なだめる、すかす、きれるして何とか食べさせる。その後、風呂の準備。
8:00 一泊二日で、結婚以来初めての母娘関西旅行に出かけていた妻より、もうすぐ駅につくと連絡。
ほっ。

02年4月4日 ないものねだり
スターリン秘録』(斉藤勉、産経新聞、2001)読了。ロシアの最近の歴史研究の成果を中心にまとめたもので、かの国の研究の最新動向を知る価値は確かにあるのだけど、正直言っていまいちの読後感は、逆に「ロシアの最近の歴史研究の成果」に取材源が偏り過ぎたからか。特に戦後処理などに関しては、『ヨーロッパ分断1943』(広瀬桂一、中公新書、1994、巻末に詳細な参考文献付き)などの研究者の著作に比べて、表面的な描写に終始。ジャーナリズムの作品として考えても、わかりやすさとインパクトという点では、以前にも言及した『そうだったのか!現代史』のスターリン描写の方が、良いような。

02年4月3日
を更新。

02年4月2日
を更新。

02年4月1日 イスラエルの崩壊が始まる
ブルドーザーのあだ名で知られるシャロンイスラエル首相が、ついにイスラエルは戦争状態にあることを宣言。しかし、このような強行策は、長期的にはユダヤ人国家としてのイスラエルの生存そのものを破滅に追い込むだろう。ニューズウィークのようなアメリカ(今や世界で唯一のイスラエルの友好国となりつつある)のジャーナリズムでも、イスラエルの生存を危ぶむ特集記事が出たけれど、当然と言えば当然ながら全然食い足りなかった。この問題については、ネットジャーナリストで『タリバン』の著者としても知られる田中宇のや、『オリエンタリズム』の著者として有名なエドワード・サイードのオンラインでのコメントの日本語訳を載せているを参照。