19世紀後半以降国民国家形成を目指す各国で、ほぼ同時代的に義務教育制度(国民教育制度)が導入されていった。その目的は政治的には国民意識を育成し、個々人を国民として国家へ統合すること。経済的には工業化社会に適応する人材を育成すること及び、工業化社会で働く親に代わって子供を一定時間預かることなどがあった。
政治的目的である国民意識育成について言えば、TVと言うマスメディアの普及以前には、「学校」こそが最大の情報伝達(あるいは洗脳)装置であったという単純な事実に気がつけばよい。戦前の日本の「学校」で行われた教育勅語や歴代天皇名の暗証や御真影への礼拝などは、天皇の臣民として個々人を国家に統合する日本的国民国家形成のために決定的な役割を果たしている。事情はフランスやドイツなどでも同様で、1870年に普仏戦争の敗北で成立したフランスの第三共和政は、「革命の祖国」「民主主義の祖国」としての「偉大な祖国フランス」というセルフイメージを、義務教育を通じて国民に植えつけ、国民統合を図ろうとした。
しかもフランスでは初等教育をカトリック教会が担っていた歴史から、国民教育の普及においては日本とは異なる困難があった。教育の機能を教会から国家に奪うためには熾烈な闘争が必要であり、時には軍隊も動員された。同時期にビスマルクが南部カトリック地域において行った文化闘争も、カトリック教会から国家に教育の主導権を奪うことが主要な目的の一つであったが、それを上回る国家と教会の対立がフランスにおいて起こっていたのである。
国民国家形成の基盤たる国民教育の普及という点に関しては、日本は決して後進国ではなかったこと。明治維新がまさにヨーロッパ各国が本格的な国民国家形成に取り組んだ時期と同時進行的に推進されたことは、なぜ日本が欧米諸国に対抗して近代化を達成しえたのか、という疑問への解答の一つとなるだろう。
また、国民意識育成のために国旗や国歌を学校教育の様々な場面で導入することも各国が共通して採用した重要な手段の一つだった。何かと言えば星条旗を振り回すアメリカ合衆国でも、星条旗が国民統合の象徴として積極的に活用されていくのは、1880年代からの学校教育の現場での星条旗の浸透のたまものだったのである。
ついで国民教育制度の経済的目的を考えてみる。産業革命による工業化社会の到来で、国家間の経済競争が激化していく情勢にあって、その競争に勝ち抜く人材を育成すること、そのために「読み書き」など工業化社会で必要とされる基本的能力を初等教育を通じて国民に普及させることは、もちろん国民教育制度の大きな目的だった。が、それとともに「時は金なり」の工業化社会においては、工場や事務所のタイムスケジュールに合わせて時間通りに行動できること、集団行動ができることが必須の条件となってくる。同時にこれは、軍隊の兵士にも要求される能力である。学校は、全てがチャイムとともに始まり、チャイムとともに終わる厳格なタイムスケジュールで運用される。授業開始のチャイムが鳴れば、席につき、どんなにつまらない授業でも(書いてて自分ですごく痛いが)我慢して次のチャイムが鳴るまで座っていなければならない。食事の時間になれば、腹が減ってなくても、ゆっくりと時間をかけて食べるのが本来の自分の好みであっても、我慢してみんなと一緒に決められた時間に食事を終えなければならない。時間通りに行動すること、集団行動すること、これが学校という空間を支配する基本的なルールである。ここに子供をほうり込むことで、その習性を身につけさせることができる。「勉強を教える」以上に、このような工業化社会(それは学校化社会でもある)の基本的ルールを仕込むことが、学校の大きな社会的機能だった。日本の一部の地域で最近まで行われていた、社会の実情と遊離した学校校則の強制なども、「集団のルールに従うことを仕込む場としての学校」という視点から理解することができるだろう。
また、工業化社会においては職住分離が基本となるため、親が働いている間に子供を預かる機関が必要となる。それもまた国民教育制度下の学校の負担となったのである。
このように見ていくと、現在の学校教育制度は、国民国家と工業化社会の実現という、「近代化」のための装置として生まれてきた歴史的産物である、ということが明らかになる。昨今の教育をめぐる議論に欠けているのは、何よりもこのような歴史的視点ではないだろうか。そして国民国家や工業化社会という、学校教育制度の前提としてあった近代の神話が終焉しつつあるのが、歴史的な大転換期にある現在の我々が生きるこの世界であり、不登校や学級崩壊その他の諸問題も、学校教育制度そのものが時代的役割を終えて転換(あるいは再生)を迫られているのに、旧来の在り方に固執してなかなか変化できないでいるという過渡期の状況の下で吹き出してきたものとして理解することが必要だろう。
国民教育制度を絶対視せず、歴史的な産物として相対化する視点がなければ、教育問題の解決は不可能。とりあえずの結論である。
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