ボッティチェリ(1444/45-1510)
この名はあだなで翻訳すると「小樽」となる。彼の兄がまず最初に「小樽」とあだなされ、ついでに弟もこのあだなで呼ばれるようになったそうで、それはないだろうと本人は思ったかどうか。いやとにかく代表作「ヴィーナスの誕生」であまりにも有名。メディチ家の庇護を受け、異教的な雰囲気に触れて、聖書ではなく、ギリシア神話に基づいて、しかも当時タブー視された女性裸体を描き出し、ルネサンス絵画に多大な影響を与えた。ボッティチェリは現世の快楽や女性の肉体の美しさに惹かれるー方で、肉体を悪魔のすみかと教えたカトリックの敬虔な信者であり、その矛盾が痛々しく恥らいに満ち、なおかつ自然の美しさに恍惚とするヴィーナスに表われて、この絵画を不朽の名作にしたのだと言われている。しかし心の比重は次第に信仰に傾き、特にフィレンツェに異教と腐敗を激しく糾弾するサヴォナローラが修道院長として出現すると、その教えに帰依するようになっていく。そして仏王シャルル8世の侵入をきっかけに、メディチ家が追放され、サヴォナローラが独裁権を握り、狂信的な改革が行われ、贅沢品や美術品が広場に積み上げられて燃やされた運命の時、自ら自作の絵を供出してこれを燃やし、画家としては自滅の道をたどっていくのである。こうして彼はダンテの作品の挿し絵に熱中するー方、宗教的神秘的作品ばかりを描いた。教皇アレクサンデル6世(ポルトガルとスペイン間の勢力圏を分割した教皇子午線で有名)と対立したサヴォナローラが異端として焚刑された後も、あくまで忠実な信徒として教えを守り、自らもの狂おしい宗教家と化し、狂信的な幻想に満ちあふれた作品を残した後、晩年の10年にはついにほとんど作品製作もやめて、その生涯を終えた。