出題年:1995年
出題校:東京大学
問題文
1453年,オスマン帝国のメフメト2世は,コンスタンティノープルを陥れてビザンツ帝国を滅ぼし,その結果,地中海世界は東西二つの文明の対立するところとなった。西アジア世界と東ヨーロッパおよび西ヨーロッパ世界は,ローマ帝国の成立以後,地中海を舞台にしてたがいに長い交流と対立の歴史を重ねてきた。この間に新しい宗教や文明がおこり,これらの世界の間で人と物と文化の交流が活発に行われた。
では,ローマ帝国の成立からビザンツ帝国の滅亡に至るまで,地中海とその周辺地域では,どのような文明がおこり,また異なる文明の間でどのような交流と対立が生じたのか。下に示した語句を一度は用いて,20行600字以内で記せ。なお,使用した語句には必ず下線を付せ。
ヘレニズム 聖像禁止令 カール戴冠 ムスリム商人
十字軍 ギリシア語 アラビア語 イスラム科学
解答例
ローマ帝国は地中海世界を支配する過程でヘレニズム文明を吸収し,4世紀末にはキリスト教を国教としてこの地域に浸透させた。その後東西に分裂したローマ帝国のうち,東はギリシア語と正教会を中心とする東欧文明圏を構成した。西のローマ帝国はゲルマン民族の侵入で崩壊してゲルマン世界となったが,東のローマ皇帝がイスラムの影響で出した聖像禁止令に反発したローマ教会がフランク王国に接近し,カール戴冠で西のローマ帝国復興を宣言したことで,ラテン語とゲルマン要素を特徴としカトリック教会を中心とする西欧文明圏が成立した。一方7世紀にアラビア半島で成立したイスラム教は,東のローマ帝国よりエジプト・シリアを奪って地中海世界に進出し,西ゴートを滅ぼしてゲルマン世界を圧迫し西欧世界の形成にも影響した。イスラムはアラビア語を核とし,ヘレニズム文明も融合した普遍的文明を確立した。セルジューク朝のビザンツ帝国圧迫を機に11世紀末に始まった十字軍は,交易網を発達させ,ムスリム商人との香辛料などの東方貿易を盛んにした。同じ頃イベリア半島ではレコンキスタが進展し,これらを背景に西欧にイスラム科学が流入して12世紀ルネサンスがおこり,アラビア語文献の翻訳でアリストテレス哲学を母体とするスコラ哲学の発展をみた。さらにオスマン帝国が台頭してビザンツ帝国を滅ぼすと,その前後に古典学者が移住してイタリアルネサンスを加速させた。