コロー(1796-1875)
19世紀半ば以降に現れた、ありのままの自然を描こうとした自然主義絵画を代表する人物。両親により画業に専念する許可を与えられたのは、1822年26歳の時で、かなり遅い出発である。1846年にはレジオン・ドヌール勲章を受け、48年には画家仲間の投票によって栄誉あるサロンの審査員になっているが、それは彼の絵の実力ではなく、親切で世話好きな性格による部分が大きい。世間からは凡庸な画家と思われ、その絵が全く売れず、経済的に彼を支え続けた両親からすら才能を期待されていなかった彼が、突如評価され流行画家となったのは、1851年より描き始めた風景画によってである。銀灰色のベールがかかった朝もやや夕暮れという叙情的な、あるいは感傷的な風景画は爆発的な売れ行きを示し、もう60歳近くになっていた彼は、初めて自分の絵で生活費を得ることが可能になった。しかし彼が押し寄せる注文に応えて類型的な風景画を大量に描いたこと。彼の生存中の1865年ころから既に大量の贋作が出回り始めたことは、「2000点の油彩画を描き、そのうち5000点はアメリカにある」という有名な言葉に示されるように、現在でも世界中で、彼が描いたと推定される数倍の絵が、彼の絵として展示されているという事態を招いている。その一方で、注文によらず、レオナルド=ダ=ヴィンチの「モナリザ」へのオマージュとして晩年に描いた「真珠の女」等の人物画は現在美術史上に残る傑作として高く評価されている。