ニュートン(1643-1727)
1687年の『プリンキピア』で万有引力の法則を発表し、近代物埋学を確立。26歳の時に師からケンブリッジ大学の教授職を譲られるほどの天才ぶりを示したが、性格は怒りっぼく、ある種冷酷なところがあったという。出生前に父に死なれ、3歳の時母は彼を祖母に預けて再婚。再婚先でまたも夫に先だたれた母が3人の異父弟妹を連れて彼のもとに帰って来たのが14歳の時。以後かなり反動的な性格の母親と不自然なまでに密着した関係となったことが、生涯独身で過ごしたような性的不能と、その特異な性格を決定づけたのでは、とのみもふたもない分析がある。後年は錬金術の研究に没頭して、おそらくその時使用した水銀が原因の水銀中毒で、50歳頃より一種の精神異常の傾向を示す。というわけでもちろん、ついうっかり懐中時計を卵と間違えて鍋で煮てしまったという微笑ましいエピソードは偉人伝によくある嘘である。自説の反対者や諭争相手には徹底的かつ執拗で陰湿な報復をおこない、61歳で当時最高の科学の権威であるロイヤル=ソサエティの会長となると、自己を神格化し権威を更に高めるため、協会の行事を宮廷儀礼にならって改変。死ぬまで会長職にとどまり、イギリス学会に帝王として君臨した…こういう人が上司にいると不幸だろうな、かかわりあいになりたくないな、と思うのは私だけではあるまい。