出題年:1997年
出題校:一橋大学
問題文
次の文章は,ドイツの作家ハインリヒ・マンが,1923年8月11日に行った講演の一部です。これを読んで,下記の問いに答えなさい。
私たちは祝うべきであります。しかし時は危機的です。私たちは憲法を祝うべきであります。ところが,あれから憲法がどうなってしまったのか,私たちは知らないのです。そして今後,憲法がどうなるのだろうか,ということも分からないのです。1919年という年は,遠い昔になりました。(中略)憲法の精神は,そうこうするうちに誤認され,否認され,歪曲され,憲法からほとんど追い出されてしまいました。戦争に熱狂するナショナリズムが,かつてと同じように,またもや荒れ狂っており,もうすでに,ふたたび権力の座に達しようとしています。(中略)反動の理由は何でしょうか。皆さん全員が第一の理由としてお挙げになるであろうものを,私も挙げようと思います。隣人たちによる,外的な圧迫です。(中略)加えて,第二の主な理由として,窮乏があります。(中略)この三日間の国会をその場で体験した者は,幽霊屋敷にいたのです。こんなものは,かつて一度も見られたためしがありません。(中略)首相が登場すると「生ける屍!」「破産者!」という怒号が投げつけられます。(中略)首相が演説を始めるとき,ドルはさらに高値つけていました。演説を終えるころ,ドルはさらに高くなっています。
問1 ここで言われている「憲法」について,その基本的特徴をいくつか述べなさい。(100字以内)
問2 1919年から1923年までのドイツの政治的・経済的状況について,この文章で触れられている点を中心に,具体的に説明しなさい。(300字以内)
解答例
問1
主権在民・壇上平等普通選挙・労働者の団結権の承認・世界初の社会権の規定・人民投票による大統領制など極めて民主的な憲法であったが,秩序維持のための大統領非常大権はヴァイマル共和国崩壊の一因となった。
問2
1919年社会民主党のエーベルトが大統領に選ばれ,ヴァイマル憲法が採択されて共和国として正式に発足した。しかし経済面では敗戦後の経済混乱とともに,多額の賠償金が負担となり,23年には賠償金支払い遅延を理由にフランス・ベルギーが工業地帯のルールを占領したため大インフレが発生した。政治面では小党分立の状態から外圧による経済状況の悪化に伴って右翼勢力が台頭し,19年にナチスが結成され翌年ヒトラーが党首となり,23年にはインフレの中でミュンヘン一揆をおこした。そのため23年には政治経済両面に渡って混乱は頂点に達した。が同年末にシュトレーゼマンが首相となることで,混乱は収拾へむかった。