ミレー (1814-1875)
「落穂拾い」「晩鐘」などで有名で、特に日本での人気は圧倒的なものがある。画家になってから死ぬまでフランスの寒村バルビゾンに住み、農民の労働風景を描いて自然主義風景画に新たな局面を開く。またバルビゾンに住んだ彼らの活動から、フランスの自然主義風景画家を、バルピゾン派と呼ぶようにもなった。40代半ば過ぎまでその絵は認められず、妻と9人の子を抱えてひどい貧乏に苦しめられ、一時は自殺を覚悟するほどであったが,以後ようやく生活も安定した。日本では農民の画家 、労働者の画家として崇高なイメージに祭り上げられたこともあったが、彼自身は農民とは一定の距離を置き、また人間的弱点も多分にあったことが知られるようになった。もちろん 、そのような生身の人間の苦悩こそが、作品の魅力を生むのである。