ドイツでは「ドイツ語を話すドイツ人」すなわち同一言語・同一人種という民族主義的国籍原理がとられてきた。
プロイセンによる統一は,「自由・平等・友愛」といった普遍的なシンボルを掲げておこなわれたのではなく,逆に自由主義や民主主義の波及を封殺する王朝連合のかたちで実現した。プロイセンはその群をぬいた経済力と軍事力を背景に,「宿敵フランス打倒」を旗印にしたナショナリズムの戦い(普仏戦争)を組織したが,対立する諸邦国を結びつける文化的な絆は「父祖以来のドイツ語を話すドイツ人」意識に他ならなかった。各地域の政治的・文化的分立状況は認めたうえで,経済的利害の共有と人種・言語ナショナリズムによって,どうにか大義名分を調達することができた。つまりドイツ・モデルは,歴史的には分邦主義の克服という課題のために,より原初的・客観主義的なかたちをとらざるをえなかったのである。
この言語や人種を指標とした国民形成が,しばしば排外主義的国民意識をもたらすことは否定できない。かつてのユダヤ人虐殺や今日のネオ・ナチによる移民排斥を指摘するまでもないだろう。
国民国家とナショナリズム」(谷川稔1999,山川出版社世界史リブレット)を参考に作成しました