出題年:2001年
出題校:一橋大学
問題文
A.今日,南アジアと呼ばれる広大な地域には,系統を異にするさまざまな人々が居住していた。この地域において,インド世界として特有の社会・宗教・文化体系の生成が始まったのは,たかだか最近3500年ほどのことである。こうして出現したインド古代の社会・宗教・文化体系とはどのようなものであり,それらはどのような過程を経て形成されたのかを説明しなさい。その際,下記の語句を必ず使用し,その語句に下線を引きなさい。(200字以内)

 インダス文明 ヴェーダ *ブラーフマン ヴァルナ ダルマ 
 マウリヤ朝

*注,バラモンとも呼ばれる。

B.4世紀後半,朝鮮半島には高句麗・百済・新羅が並び立つ形勢が生まれ,7世紀には三国の抗争は,新羅が半島中南部を統一することによって終結した。4世紀から7世紀までの朝鮮半島における情勢の推移について,中国王朝との関係を含めて,説明しなさい。その際,下記の語句を必ず使用し,その語句に下線を引きなさい。(200字以内)

楽浪郡 加羅諸国 煬帝


解答例

パンジャーブ地方に侵入したアーリヤ人は,先行のインダス文明を吸収しつつ神々への賛歌であるヴェーダを成立させた。彼らのガンジス川中流域への移動と先住民族征服の過程でブラーフマンを頂点とする古代身分制度のヴァルナやバラモン教が成立した。やがて都市国家が建設され,クシャトリヤやヴァイシャが台頭すると,ヴァルナを否定する仏教やジャイナ教も成立し,マウリヤ朝のアショーカ王は,仏教のダルマを統治理念とした。(199字)


4世紀初め高句麗は漢民族の拠点であった楽浪郡を滅ぼして半島北部を支配した。一方南部では馬韓から百済,辰韓から新羅,弁韓から加羅諸国が成立したが,加羅諸国は百済と新羅の圧迫を受け,新羅に滅ぼされたため,三国鼎立の形勢が決定した。当初は高句麗が有力だったが,隋の煬帝や唐の太宗の遠征を受け,これを撃退したものの国力を消耗し,最後は唐と結んだ新羅が百済と高句麗を相次いで滅ぼして半島中南部を統一した。