J.S.ミル(1806-1873)
父はベンサムの門弟兼友人で、功利主義派あるいはベンサム派とよばれる一派を確立したジェームス=ミルである。幼少より父の厳しい教育を受け、3歳でラテン語、8歳でギリシア語を学んだ。功利主義者としては幸福に量だけでなく質的な差があるとし、“満足した豚であるより、不満足なソクラテスであった方がいい”という言葉を残す。またコントの実証主義を導入し、古典派経済学を集大成した業績も重要。20代半ば頃よりテーラー夫人と知り合い交際を続けたが、結婚できたのは彼女の夫が死んだ20年後である。しかしこのことが世人ばかりか家族や友人の非難を受けたために二人だけの生活に閉じこもり、彼女の示唆と協力で代表作『自由論』を書き上げるも、夫人は結婚7年目に死んでしまう。この経験を基に書かれた『婦人の隷従』は、婦人解放史上の記念碑的作品とされている。1873年に「私の仕事はなし終えた」の言葉を残して死んだ。