20世紀は戦争と革命の世紀であった。そしてその基調にあったのは,産業の発展に伴う市場経済の拡大と,それが生み出した諸問題に対抗しようとする社会主義の運動であった。マルクス主義に基づく共産主義国家は,第二次世界大戦までは,第一次世界大戦を機に成立したソヴィエト社会主義共和国連邦(ソ連)と,モンゴル人民共和国のみであったが,第二次世界大戦後,共産主義圏は東欧諸国や中華人民共和国などに一気に拡大した。しかし,当初はソ連を中心に団結するかに見えた共産主義諸国も,東中欧と中華人民共和国では成立の経緯が異なることもあって内実は決して一様ではなく,1956年のスターリン批判をめぐってその対応は分かれた。その後1970年代から次第に明確化した共産主義圏の経済不振は,最終的に東欧の共産主義圏を崩壊させ,中華人民共和国は独自の政策を模索することになった。
そこで,第二次世界大戦から1989年に至る間の東中欧諸国と中国の動向を,ソ連との関係に留意しつつ,下に示した語句を一度は用いて,解答欄(イ)に15行以内(450字)で記せ。なお,使用した語句に必ず下線を付せ。

コミンフォルム ペレストロイカ 四つの現代化
中ソ論争 文化大革命 東欧革命 ゴルバチョフ訪中 プラハの春


解答例
東中欧諸国は第二次世界大戦でソ連軍に占領されたことで共産主義圏となり,冷戦の激化によるコミンフォルム結成でソ連の政治支配が強まった。スターリン批判を契機にポーランドとハンガリーでは反ソ暴動が発生したが,ハンガリーの暴動はソ連軍によって弾圧され,その後のチェコスロヴァキアのプラハの春や,ポーランドの連帯の民主化運動も弾圧された。しかしソ連のゴルバチョフによるペレストロイカの影響を受けて,1989年に東欧革命が発生すると,各国の民主化が実現した。一方中国は,共産党が国民党に勝利して自ら政権を得た。1950年にはソ連と同盟を結んだが,スターリン批判や平和共存をめぐって中ソ論争が発生し,以後両者は対立を深めて1969年には国境紛争も起こした。そこで中国は文化大革命など独自の社会主義路線を取る一方,1970年代にはアメリカに接近してソ連に対抗した。1980年代には四つの現代化を目標に市場経済を導入して経済の回復をめざし,ソ連とも1989年のゴルバチョフ訪中で和解したが,同年に起こった民主化要求の天安門事件は弾圧した。