ラファエロ(1483-1520)
16世紀の初めに多くの聖母子像を描いた、レオナルド=ダ=ヴィンチ、ミケランジェロと並び称されるイタリア=ルネサンスの画家、建築家。19世紀に絵画技術の革新運動が始まるまでは、長く史上最高の画家の評価を得ていた。ギリシアの哲学者を描いた「アテネの学堂」は教科書の挿絵によくある。1514年には、サン=ピエトロ大聖堂の建築を叔父のブラマンテから受け継ぐが、これは1520年に彼が早世したため、後にミケランジェロに受け継がれた。誰からも好かれる善良な性格と、何よりその優美な姿態に名声が加わって、異常に女性にもてたことでも有名。その死も実は、もてすぎて遊びすぎた結果 、体力の限界を越え(いわゆる「やりすぎ」ですな)、ついに高熱を発して寝込んだところを、悪名高い瀉血療法(病気の原因を悪い血によると考え、血を出すことで治療しようというもの)を施されたことによるという話がある(この部分、『人間臨終図鑑』参照)。うらやましいような、うらやましくないような。