マキャベリ(1469-1527)
フィレンツェの人で、25歳の時、フィレンツェに侵入してきたシャルル8世の軍を目の当りにし、イタリア統ーの必要を痛感。フィレンツェの書記官、外交官として活躍したが、後に政争に敗れ、追放された。その間に書かれたのが名著『君主論』である。教皇アレクサンデル6世の子、チェザーレ=ボルジアを理想的君主のモデルとして念頭においたといわれるこの書は「君主たるもの獅子の勇気と狐の狡知を持たねばならない」として道徳と政治を分離し、政治学の嚆矢となった。しかし、プロイセン国王フリードリヒ2世の有名な言葉「君主は国家第一の下僕」が、皇太子時代にフリードリヒ2世が著した「反マキャヴェリ」という論文に出自するように、その主張は権謀術数主義として受け取られ、マキャヴェリズムの名を残した。