出題年:2004年
出題校:一橋大学
問題文

宗教改革は,ルターにより神学上の議論として始められたが,その影響は広範囲に及び,近代ヨーロッパ世界の形成に大きな役割を果たした。ドイツとイギリスそれぞれにおける宗教改革の経緯を比較し,その政治的帰結について述べなさい。その際,下記の語句を必ず使用し,その語句に下線を引きなさい。
(400字以内)

アウグスブルクの和議 首長法

解答例

ドイツでは,ドイツ農民戦争でルターが領主側に立ったことで,諸侯や都市が宗教改革の担い手となり,皇帝権の強化を図るカール5世と対抗した。オスマン帝国やフランスとの対立を背景にカール5世はルター派を一時認めたが,その後再び禁止した。そのためルター派諸侯はシュマルカルデン同盟を結成して抗戦し,最終的に両者はアウグスブルクの和議でルター派とカトリックの選択権を領邦が持つことで妥協した。カール5世の神聖ローマ帝国再建構想が破綻し,領邦君主が領域内の教会を支配下に置く領邦教会制が確立したことで,ドイツでは各領邦が支配権を強化し,主権国家形成の主体となった。イギリスではヘンリ8世が離婚問題から,国王を教会の長とする首長法を制定し,ローマ教会から独立するとともに,修道院の土地財産を没収し,地主層に払い下げてその支持を獲得した。これによって君主による教会支配が確立し,絶対王政の基盤が整備された。