モネ(1840-1926)

フランス印象派を代表する画家で、“印象派”の名称も、彼らのグループの第一回展覧会に出品された彼の「印象・日の出」と題された絵に由来する。もっともその絵は、線の描写に重点を置く従来の画壇になかなか認められず、第一回展覧会も批評家からは酷評され、先の“印象派”の言葉も、ある批評家によって嘲りの意をこめて使用されたのが始まりである。マネルノワールも描いた美しいモデルカミーユを妻としたものの、その絵は売れず生活は苦しく、日々の食事にも事欠くことがあったと言う。しかも79年に最愛のカミーユは、32歳で病に倒れてしまう。その時瞬間瞬間に移ろいゆく情景を描きとめることを追及し続けた彼は、死にゆく妻を克明に描き続けた。画家の業を感じさせるエピソードである。20世紀に入って認められるようになった時には、視力の低下によって細部の認識が不可能になっていたが、その半盲の状態を逆用して、網膜に映るかすみ状の映像を色彩 が解け合う光線として表現。特にセーヌ川より水を引きいれた自宅の睡蓮の池を描いた連作が有名である。その死の時には、首相となっていた友人クレマンソーによって国葬に準じた葬儀が営まれた。