「戦争と革命の20世紀」は終わりを告げ,世界史は新しいステージに突入した。
旧時代,あらゆるものが,国境の壁によって仕切られ,保護されていた。そこでは,“先進国”の情報に接することの出来る“特権的少数者”が模倣し,自らの都合のよいように換骨奪胎したものが,「日本」野球,「日本」文学,のように「日本」を冠してわれわれの生活をとりまいていた。「世界」は「日本」の対義語として存在し,「世界」の問題は,われわれの外部の問題だった。
新時代,旧来の国民国家は歴史の主役の座から退き,資本も人もそして文化も,地理上の国境を軽々と越えていく。情報は広く人々が接することの出来るものとなり,「世界」の問題は,この時代に生きる人々全てが共有する問題となり,「日本」という冠を外して通用しないものは,淘汰されざるを得ない時代となった。
それは同時に,われわれ一人一人が,世界標準に対峙しなければならないことを意味する。
津原泰水は,「日本」文学に孤絶して登場した。「日本」のエンターテイメント系ジャンル小説にも純文学にも属すことを拒否する特異なその作品群は,逆説的にも世界の幻想文学の系譜上に正統の位置を占める。「日本」の文学シーンに苦闘しながら自己の立場を確立してきた氏の語る言葉は,われわれに新時代を生きるための突破口を垣間見させてくれるだろう。