出題年:2002年
出題校:一橋大学
問題文
ウルバヌス2世が十字軍の必要性を訴えて聴衆の熱狂的な支持を受けたのは,クレルモン公会議でのことである。この演説は閉会式で行われたといわれるから,もともとこの会議の主題は十字軍ではなかった。参加者もそれを予想してはいなかった。しかし,この会議には多数の高位聖職者が集まり,会場は熱気に満ち溢れていた。多数の聖職者たちの行列を見るためにあふれ返るほど多くの群衆も集まっていた。これほどの熱気と多数の人々をここにもたらしたのは,クレルモン公会議が重要なものと認識されていたからである。この会議は,彼の2代前のローマ教皇によって開始されていた,ローマ教皇と神聖ローマ皇帝の熾烈な戦いの一環として開催されたものだった。ウルバヌス2世は,ローマ教皇としての自己の権威を広め確立するためにフランスでこの公会議を開催し,教会改革を推進することを目指した。公会議はそのためにいくつかのことを決議した。したがって,十字軍が提唱されたのも,聖地の解放を目指すとともに,ローマ教皇がキリスト教世界の指導者であることを示すためだった,と考えることができるだろう。第1回十字軍の間にもなお教会改革をめぐる争いが続けられていた,ということを忘れてはいけない。
問題.ウルバヌス2世の前からはじめられ,1122年に一応の妥協をみた「熾烈な戦い」の名称を記し,その過程について説明しなさい。その際,下記の語句を必ず使用し,その語句に下線を引きなさい。(400字以内)
クリュニー修道院 破門 ハインリヒ5世
解答例
叙任権闘争。神聖ローマ帝国では,私有教会制の伝統に立って皇帝が高位聖職者の叙任権を行使し,帝国統治に利用する帝国教会制度が行われていた。11世紀になるとクリュニー修道院は聖職者の妻帯や聖職売買を批判する教会刷新運動を開始したが,その影響を受けて教会改革を推進した教皇グレゴリウス7世は,教会法に基づく高位聖職者の選出と教皇による叙任を主張し,皇帝の叙任権行使を聖職売買であると批判して皇帝ハインリヒ4世と対立し,彼を破門した。カノッサの屈辱で破門を解かれたハインリヒ4世は,対立勢力を鎮圧して反撃に転じ,ローマからグレゴリウス7世を追放した。しかし叙任権闘争を継承したウルバヌス2世がクレルモン公会議で十字軍を提唱し,聖地回復が成功すると教皇の権威は上昇し,皇帝ハインリヒ5世は,俗権の授与と選挙への立ち会いの権利を確保した上で,教皇の叙任権を承認するヴォルムス協約を締結するに至った。