ロシア革命の最大の悲劇は、社会主義のためには工業化が不可欠であるとしたボリシェヴィキが、革命時において人口の80%以上をしめた農村を軽視し、農村を理解しなかったことだとする説がある。そのため、戦時共産主義の時代、第一次五ヶ年計画の時代と、農村からの穀物徴発が暴力的に行われ、生産性の低下と飢餓をまねいている。特に第一次五ヶ年計画を指導したスターリンは、「農民への強い不信を表明し、工業化のテンポの維持と強化を至上命令とし、農民からの追加税なしで工業化は不可能であると公然と主張」した。(『ロシア近現代史』p236、ミネルヴァ書房、1999)。重工業建設のための工作機械は、西欧諸国からの輸入に頼り、購入のためには外貨が必要で、外貨の獲得は穀物輸出に頼っていたためである。輸出用穀物獲得のためには、クラーク(富農)が指導し、しばしば国家の穀物調達を阻害したと考えられた伝統的な農村共同体(ミール、社会革命党の支持基盤でストルイピンが解体を試みたが部分的にしか成功せず、1917年革命の過程で事実上完全復活していた)を解体し、農民を国家の統制下におけるコルホースやソフホースなどの集団農場で管理する農業集団化が不可欠であるとされた。29年には農業集団化のため、「クラークの絶滅」が、スターリンによって宣言された。900万人と言われるクラークが追放され、そのうち半数が処刑され、残り半数が強制収容所に収容されたと推定されている。以下、前掲書pp238〜240より引用。「本質的にこれは農民への内戦のはじまりであった。」「農民は絶望的に抵抗した。この闘争がいかに激しかったかは、30年1〜3月期に農民大衆蜂起約、2200件、これへの参加農民80万人以上という数字が雄弁に物語っている。」「抑圧が強化されるにつれ穀物調達への抵抗が増したが、スターリンはそれを「クラークのサポタージュ」と説明し、強制力の適用を指示した。ソ連農業全体の崩壊が始まった。」「工業設備買付けのために穀物輸出が増やされ、多くのコルホースから種子をふくむ全穀物が徴収された」「農村では恐ろしい地獄絵が現出した。貯蔵食糧や播種用の種子も食べつくし、雑草や幼虫などあらゆるものが胃に収められた。人肉食も記録されている。村全体が餓死で絶滅した場合があった。飢饉の犠牲者の数を特定するのは困難であるが、餓死者の数は700万人ともいわれている。」
さて、金日成はスターリンの申し子だった。ソ連領において抗日パルチザン闘争に従事するソ連軍将校であった金日成は、スターリンによって権力の座に据えられた。その後の個人崇拝や粛正による政敵抹殺などにもスターリンの影響を見ることが出来る。北朝鮮における飢餓が、どのように発生したかの具体的メカニズムは、たびたび引用するにある、李英和関西大学助教授の分析に詳しいが、北朝鮮の飢餓問題の根底には、平壌市を特権的都市として地方都市や農村と切り離した金日成の、スターリンから受け継いだ農村軽視(敵視)の体質があるのではないかという気がする。