出題年:2001年
出題校:東京大学
問題文
輝かしい古代文明を建設したエジプトは,その後も,連綿として5000年の歴史を営んできた。その歴史は,豊かな国土を舞台とするものであるが,とりわけ近隣や遠方から到来して深い刻印を残した政治勢力と,これに対するエジプト側の主体的な対応との関わりを抜きにしては,語ることが出来ない。
 こうした事情に注意を向け,
 1)エジプトに到来した勢力の関心や進出にいたった背景
 2)進出を受けたエジプト側がとった政策や行動
の両方の側面を考えながら,エジプトが文明の発祥以来,いかなる歴史的展開をとげてきたのかを概観せよ。解答は18行(540字)以内とし,下記の8つの語句を必ず1回は用いたうえで,その語句の部分に下線を付せ。

アクティウムの海戦 イスラム教 オスマン帝国 サラディン
ナイル川 ナセル ナポレオン ムハンマド・アリー


解答例
ナイル川の肥沃な土壌を背景に繁栄するエジプトの富を求めてヒクソスが侵入したが,新王国はその戦車戦術を学んでシリアに進出した。アケメネス朝の支配を経てヘレニズム時代にはプトレマイオス朝が繁栄したが,アクティウムの海戦を機に地中海の内海化を目指すローマの属州となり,穀物供給地として収奪された。そのためイスラム教勢力が進出するとその支配を受容した。アッバース朝に対抗したファーティマ朝の下でイスラムの一大中心地となり,聖地回復を目指す十字軍にはアイユーブ朝を建設したサラディンが反撃した。マムルーク朝の下では西欧との東方貿易で繁栄したが,聖地支配を目指すオスマン帝国に征服された。19世紀には交易上の重要性が復活し,ナポレオンの遠征を受けたが,その混乱を利用してムハンマド=アリーが自立した。しかしエジプト事件で列強の干渉を受け,スエズ運河建設後は英仏の財政干渉が強まった。これに対してアラービ=パシャの乱が起きたがイギリスに鎮圧されて支配された。第一次世界大戦後ワフド党の下で王国として独立したが,第一次中東戦争の敗北後共和制に移行した。その後ナセルの下でスエズ運河国有化を断交し,英仏の勢力を排除してアラブの盟主としてイスラエルに対抗したが,サダト政権下で単独和平に転じた。