出題年:1998年
出題校:一橋大学
問題文
次の文章は,フランスの評論家ダニエル・アレヴィ(1872-1962)による。ここで語られていることをふまえて,1870年から19世紀末に至るまでのフランスの政治状況を,以下の用語を使って説明せよ。なお,用語を最初に使った箇所には下線を付すこと。(400字以内)
「1871年6月−フランス人は何を感じていたのだろうか。彼らの国は国境からサン=ドニやヴァンセンヌに至るまでドイツ人に占領されていて,傷つけられ辱められた首都には地と煙の臭いがまだ漂っていた。また,リヨン,マルセイユ,トゥールーズ,ボルドー,リモージュ,ペリグーは依然として武装しており,おそらくは新たな一触即発の可能性を抱えていたのである。悲しみ,沈黙,茫然自失の状態がいたる所で支配していた。力によって獲得されたこの秩序を,いかにして定着させ,安定したものにするか。すべてが不確定で移ろいやすく,それが人々の恐怖を生みだしていた。そして不安と徒労感には悔恨の情が混じり合っていた。」
ナポレオン3世 ティエール アルザス・ロレーヌ割譲
労働運動 ドレフュス事件
解答例
普仏戦争の敗北によりナポレオン3世が退位して第三共和政が成立し,ブルジョワ共和派のティエールが組織した臨時政府はアルザス・ロレーヌ割譲をドイツに承認した。これに反対したパリ民衆は社会主義者の下にパリ=コミューンを組織したが,政府軍に弾圧された。その後フランス革命の継承を自任する第三共和国憲法が制定され,学校を通じた国民教育による国民統合が図られたが,共和派と王党派などの対立と小党分立で政治は安定せず,1873年不況の影響で80年代を通じて不況が続いたことで,議会政治を否定するアナルコ・サンディカリスムが労働運動に影響力を拡大した。反共和派は,国民の間に存在する対独復讐感情を利用し,ブーランジェ事件やドレフュス事件を相次いで起こして共和政打倒を図った。しかし,ドレフュス事件に際して急進共和派が結集して政界の主導権を握り,ロシアへの資本輸出などで経済も好転したため,共和政は安定にむかった。(395字)