謝霊運(385-433)
南北朝時代の南朝宋の詩人。晋の名門の一族で、祖父は前秦符堅を383年の
水の戦いで破った謝玄であるが、宋の代となって政治的には不遇であったため、官を辞し、自然を友として詩作に耽った。もっとも陶淵明がつつましやかに、むしろ晩年は困窮の中で暮らしたの対して、彼は父祖の財力をたのみに多くの奴卑を使用し、大荘園を開いて豪奢な生活を営み、また山水でしばしば大宴会を開いた。その生活が妬まれ恨まれ謀反の疑いありということで訴えられて処刑された。