司馬光(1019-1086)
孔子の『春秋』にならい、『春秋』のとりあげた後の時代、すなわち前432年の晋の分裂による戦国時代の開始から、960年の宋の建国までの歴史を年代順に記した編年体の通史『資治通鑑』を完成したことで知られる。書名は,治世に利益があって歴代為政者の鑑とするに足る通史の意である。『資治通鑑』はその考証のきわめて正確なこと、今では失われてしまった根本資料からの抜粋を多く含んでいることから、歴史書として重要であり、高く評価されている。司馬光は王安石の新法に反対して、政府を辞している時に『資治通鑑』を完成し,神宗にささげた。王安石の新法は,青苗法や市易法など政府による低利の融資政策を含んでいたが,司馬光は,儒学の価値観から政府が利子をとる商行為を行うことを忌避し,新法に反対したといわれる。神宗の死にともない旧法党の首領として政府に復帰し、何の準備もともなわないまま新法の廃止と旧法の復活をおこなって大混乱を招き、その8か月後に病死。そのため後に果てしなく続く党争を残し,北宋の衰退まねいた。