エラスムス(1465-1536)
ネーデルラン卜のロッテルダムに私生児として生まれる。9歳より早くも修道院に入って学問を治め、パリ大学に神学を学ぶ。ギリシア、ラテン古典の研究をすすめる一方、各地を旅行して人文主義者仲間と交流。特にトマス=モアとの親交は有名である。修道士として教会内部にありながら、1509年『愚神礼賛』を著して教会と僧侶の腐敗を鋭く風刺。16年にはギリシア語原典をもとに、当時普及していたラテン語の新約聖書の誤りをただして、人文主義者の第一人者とみなされ、「ゲルマニアのほまれ、世界の誇り」と絶賛された。彼の著書はおりからの活版印刷術の普及によって広く読まれ、宗教改革を準備したと言われるが、宗教改革の勃発にさいしては、あくまで中立を守り、両陣営から批判される中で没した。しかし、旧教と新教の対立が激しくなり、両陣営とも狂信の度を深めていくなかで、そのあくまで理性的な対応は、現在高く評価され、その著作は現在も読み継がれている。