出題年:2008年
出題校:一橋大学
問題文

日露戦争を機に,日本は朝鮮(韓国)に対する支配を強め,戦争の終結から5年目に当たる1910年には朝鮮を植民地化した。以下に掲げる史料1〜2は,この時期に日本・韓国両政府の間に結ばれた重要な取り決め(条約)であり,それぞれ,その一部を示したものである。
〔史料1〕1904年2月23日調印,日韓議定書
第3条 大日本帝国政府ハ大韓帝国ノ独立及領土保全ヲ確実ニ保証スル事
第4条 第三国ノ侵害ニ依リ若クハ内乱ノ為メ大韓帝国ノ皇室ノ安寧或ハ領土ノ保全ニ危険アル場合ハ大日本帝国政府ハ速ニ臨機必要ノ措置ヲ取ルヘシ而シテ大韓帝国政府ハ右大日本帝国政府ノ行動ヲ容易ナラシムル為ニ十分便宜ヲ与フル事
大日本帝国政府ハ前項ノ目的ヲ達スル為メ軍略上必要ノ地点ヲ臨機収用スルコトヲ得ル事
〔史料2〕1907年7月24日調印,第3次日韓協約
第1条 韓国政府ハ施政改善ニ関シ統監ノ指導ヲ受クルコト
第2条 韓国政府ノ法令ノ制定及重要ナル行政上ノ処分ハ予メ統監ノ承認ヲ経ルコト
第4条 韓国高等官吏ノ任免ハ統監ノ同意ヲ以テ之ヲ行フコト
第5条 韓国政府ハ統監ノ推薦スル日本人ヲ韓国官吏ニ任免スルコト
問1 日露戦争開戦後に日本の朝鮮に対する支配の強化はどのように進んだのか,戦争後にそれはどのようにして植民地化(「韓国併合」)へと進んだのか,また,こうした日本の政策に対する朝鮮内部における反応はどのようであったのか,説明しなさい。(200字以内)
問2 清朝政府は同じ頃,「光緒新政」といわれる一連の制度改革を実施した。この「新政」の重要な項目を二つ以上あげてその結果も述べなさい。(200字以内)


解答例

問1
日本は日韓議定書によって日本軍の行動の自由を,第1次日韓協約によって政府顧問を承認させた。戦争後の1905年には第2次日韓協約によって外交権を奪い保護国として韓国統監府を設置し,1907年のハーグ密使事件を機に第3次日韓協約によって内政権を掌握して軍隊も解散させた。それに対し抗日義兵闘争が激化し,愛国啓蒙運動も推進された。しかし日本は安重根による伊藤博文暗殺を機に韓国併合条約を結んで韓国を併合した。
問2
「新政」は科挙制を廃止し,海外留学を勧めた。留学生の一部は革命派に転じ,帰国して整備が進められていた新軍の将校となったため新軍に革命派が浸透した。また実業振興政策で成長した民族資本家や郷紳層は,憲法大綱の公布や国会開設の公約など清朝が進める立憲君主制導入に期待し,立憲派を形成した。しかし幹線鉄道国有化が強行されると,利権回収運動の担い手であった立憲派は反発し,革命派とともに辛亥革命を引き起こした。