テル=エル=アマルナ
テーベのアモン(アメン)神官の勢力増大に対し、アメンホテプ4世(その名は「アメンは満足す」の意)はアトン神の信仰を提唱し、ついにはアトン神以外の神は全て偽りであるとしてアモン信仰を否定し、名をイクナートン(アトンに愛される者)と改名して、アモン神官団の勢力が強いテーベに対して新たにアトン神のための新首都アケト=アトン(アトンの地平線の意)を今日のテル=エル=アマルナに造営した。しかし、アトン神の改革は、10歳でイクナートンを継承したと考えられる次のツタンカートン(アトンの生けるしるし)王の時にテーベの神官団の巻き返しにあって挫折し、ツタンカートンはツタンカーメン(ハワードカーターの発掘で豪華な副葬品が明らかになった悲劇の少年王である)と改名。アケト=アトンも廃棄された。アマルナに首都が置かれたこの時代は、写実的なアマルナ美術の発生や、アッカド語でミタンニやヒッタイトとの外交を記したアマルナ文書の存在で知られている。
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