ミケランジェロ(1475-1564)

フィレンツェ共和国の中級官吏の子として生まれながら、父の反対を押し切って美術に志す。15歳頃、ロレンツォ=デ=メディチに見いだされ、メディチ家で実子待遇での英才教育を受けて、その才能を大きく開花。89歳で死ぬ までの間、彫刻では『ピエタ』『』『モーゼ』、絵画ではシスティナ礼拝堂の天井に『』、正面に『最後の審判』そして建築ではブラマンテが設計を始めたサン=ピエトロ大聖堂の施工を規模を3/4に縮小して受け継ぐなど、美術史上に偉大な足跡を残し、生存中から「神の如き」と称された。その生涯はしかし、苦悩の色に染め上げられている。ミケランジェロは穏健なレオナルド=ダ=ヴィンチとすら諍いを起こしたような気難し家で、自分が傷つくことを恐れて人を傷つけ、住む世界を狭くしては孤独に閉じこもった。その傾向は、青年期に彼の生意気を憎んだ先輩彫刻家に鉄拳制裁を受けて鼻をつぶされ、複雑な容貌コンプレックスを抱いたことで加速されたと言われる。政治的にも、メディチ家とサヴォナローラ、フィレンツェ共和政とメディチ家独裁の間で揺れ動き、様々な人々から裏切り者として非難されて更に孤独と苦悩を深め、その 傷は生涯癒されることはなかった。ところで、『最後の審判』では彼はキリス卜を全裸に描いたが、これが教会や敵対者から非難されて大問題となり、結局門弟のー人が腰布を加えることによって、この大作は破壊されずにすんだというエピソードがある。で、この門弟は後世「ふんどし画家」という有り難くない異名をちょうだいした。いい迷惑である。近年の修復作業の時、腰布を除いて、絵を本来の姿に戻そうという提案が行われ、周辺の人物の何人かに関しては腰布がとりはらわれた。しかしキリストを始めとする主要人物については反対の声が強く、結局腰布はそのままになって、彼が描いていた筈のキリス卜のおちんちんは開帳されなかった。残念。