中央アジアは世界の屋根といわれるパミール高原で東西に分かれる。
中央アジア西部は、アラル海に注ぐシル川とアム川の流域を中心とし、中央アジア東部は、天山山脈と崑崙山脈に挟まれたタリム盆地を中心とする。
この地域は、乾燥した高原地域で昼夜の寒暖差が厳しいが、点在するオアシスを中心にオアシス農業と交易を基盤とする都市国家が成立し、オアシスの道(シルクロード)の東西中継貿易の中心となった。当初は、サマルカンドに拠点を置き、唐とアッバース朝の中継貿易に活躍したソグド人などインド=ヨーロッパ系(イラン系)の人々が住民の中心であったが、9世紀にモンゴル高原でトルコ系のウイグル帝国が滅亡すると、その一部が天山方面に西走して定住し、これをきっかけにトルコ系の人々の西方移動が盛んとなった。そのため、中央アジアのトルコ化が進み、以後この地域はトルキスタンとも呼称されるようになる。