デフォー(1660-1731)
イギリスの作家・ジャーナリスト・詐欺漢・大英帝国スパイ組織の父。あり余る才能を持ちながら、実人生においては破産と裏切りを繰り返した人物として記憶される。代表作は『ロビンソン=クルーソー』。ロンドンの肉屋の息子として生まれる。青年期より政治に関心を示し、1685年にはジェームズ2世に対する反乱事件に連座。あやうく処刑を免れ、l688年にはウィリアム3世の革命軍に参加。その後裕福な花嫁を迎え、メリヤス商を営み一時的な成功をおさめるも、浪費と放漫経営で破産。債務不履行で逃亡生活を送る途中のl694年、オランダ人で国民に不人気だったウィリアム3世を支持するパンフレットを出版。政府の官職を与えられ、職権を利用して陶器工場の経営を始め借金返済に成功した。1702年アン女王即位後の非国教徒排斥の機運の中で、反語的に非国教徒を撲滅せよと唱えて国教徒の残酷性を訴えるパンフレツトを出版し、議会の国教徒の怒りをかって3日問のさらし台の刑の後投獄される。が、逆にこれによって民衆のヒーローとなり、さらし台に集まってきた群衆は彼に花束を雨のように降らせたと言われる。獄中において政治評論ばかりか獄中の泥棒や殺人犯のイ
ンタビュー、有名人のスキャンダル、幽霊話などを満載した新聞を発行。今にいたる英国大衆新聞の原型をつくり、反政府派のジャーナリストとして名声を得るが、その裏では自由を得るために政府高官に反政府派弾圧のスパイ組織結成を提案。許されて出獄後、政府のためのスパイ組織網を組織し、その影の支配者として辣腕を振う。しかしその変節の多い言動が政府からも反政府派からも疑われるようになり、政治活動とスパイ活動を断念。せっぱつまった挙げ句に59歳の時に書き上げ、ベストセラーとなったのが『ロビンソンクルーソー』である。この成功に味をしめ、以後は憶面もなく同傾向の作品を書きまくり巨富を築くも、69歳の時突然その大邸宅より失綜。ぜいたくな生活により巨額の負債をおったからとも、息子との不和によるとも言われる。71歳の時、隠れ住む小屋でひっそりとその波乱万丈の生涯を閉じた。