ガリレイ(1564-1642)
みずから作った望遠鏡で天体を観測し、地動説を実験的に論証(ただし完全な証明ではなく、地動説が完全に証明されるのは19世紀になってからである)『天文対話』を著す。しかしその説が1633年69歳のとき、宗教裁判所(異端審問所)により異端とされ、かろうじて火刑はまぬがれたものの、著述も出版も禁じられ、終身監禁状態となる。地動説を説いたこととともに、当時カトリック教会が「神によってつくられた完全無欠の球体」としていた月を望遠鏡で覗き、クレーターのでこぼこを発見してしまったことも、教会の心証を害したと言われる。自説の撤回をやむなく認めたとき、「それでも地球は動く」と呟いたというのは伝説であるが、心中を的確に表現していると思われる。死後も教会の迫害は続き、約百年間その死体は棺に納められたまま教
会の地下室におかれ、墓をたてることも許されなかった。ちなみにカトリック教会が彼に謝罪したのは、やっと1983年になってのことである。