正しい
黒陶(竜山)文化頃から現れた周囲を樹木や土塁で囲った集落である。
最初に農耕集落を営むことが出来たのは、小さな河川やわき水を利用できる台地などに限られたので、黄土地帯の各地に邑が点在し、共同農業など氏族共同体的な生活を営んだ。その中で交易活動などで強大化し、城壁をめぐらして周囲の邑を組織化する大邑も黒陶文化末期には出現した。中国最古の王朝とされる夏から周にかけては、このような都市国家の連合組織として国家が営まれた。これを邑制国家と言う。

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