*レーニン(1870- 1924)
ロシアの革命家・政治家。ロシア革命の指導者。本名はウラジミール=イリイッチ=ウリャーノフ。貧しい小貴族の家に生まれた。兄はナロードニキ運動に参加し、皇帝アレクサンドル3世暗殺未遂事件の主犯として絞首刑となっている。その兄の影響で革命運動に参加し、マルクス主義を知り、ロシア最初のマルクス主義政党、社会民主労働党に参加。社会民主労働党が第2回大会で分裂すると、職業的革命家による前衛党組織を唱えボルシェビキを指導。労農同盟、戦争の内乱への転化、プロレタリア革命を主張した。三月革命時にはジュネーブに亡命していたが、ドイツ軍の協力を得て封印列車で帰国。四月テーゼを発表して「戦争の即時停止」と「全ての権力をソヴィエトへ」と唱え、十一月革命を指揮しソビエト政府を樹立、首班となる。内戦と対ソ干渉戦争の時期には「全てを戦場へ」のスローガンのもと戦時共産主義の経済政策をとったが、それによってロシア経済が崩壊すると、限度内での資本主義復活を認めたネップを推進した。しかし、1924年に革命事業建設の途上に53歳で病死し、のちにスターリンの暗黒時代を招来することになった。第二次大戦時のイギリス首相として有名なチャーチルは言っている。「ロシア国民にとって最大の不幸は、レーニンがこの世に生まれてきたことだった。それに次ぐ不幸は、レーニンが途中で死んでしまったことである」
著作に帝国主義と金融資本の関係を解明した「帝国主義論」がある。