出題年:02年
出題校:東京大学
問題文
世界の都市を旅すると,東南アジアに限らず,オセアニアや南北アメリカ,ヨーロッパなど,至る所にチャイナ・タウンがあることに驚かされる。その起源を探ると,東南アジアの場合には,すでに宋から明の時代に,各地に中国出身者の集住する港が形成され始めていた。しかし,中国から海外への移住者が急増したのは,19世紀になってからであった。その際,各地に移住した中国人は低賃金の労働者として酷使されたり,ヨーロッパ系の移住者と競合して激しい排斥運動に直面したりした。たとえば,米国の場合,1882年には新たな中国人移民の流入を禁止する法律が制定された。米国がこのような中国人排斥法を廃止したのは第二次世界大戦中のことであり,大戦後にはふたたび中国からの移住者が増加した。
上述のような経緯の中で,19世紀から20世紀はじめに中国からの移民が南北アメリカや東南アジアで急増した背景には,どのような事情があったと考えられるか,また海外に移住した人々が中国本国の政治的な動きにどのような影響を与えたか,これらの点について,15行(450字)以内で述べよ。なお,以下に示した語句を一度は用い,使用した場所に必ず下線を付せ。
植民地奴隷制の廃止 サトウキビ・プランテーション ゴールド・ラッシュ
海禁 アヘン戦争 海峡植民地 利権回収運動 孫文
解答例
19世紀になると、植民地奴隷制の廃止によって黒人奴隷にかわる新たな安い労働力に対する需要が高まった。このため、アヘン戦争の敗北によって海禁が崩壊した清から,増税と銀価の上昇で困窮化した多くの中国人が苦力として各地に送られた。中国人はカリブ海域のサトウキビ・プランテーションなどで労働者となったほか、合衆国では、金鉱が発見されてゴールド・ラッシュが起こるとその鉱山開発に従事したり、大陸横断鉄道の建設労働者となった。また中国からの移民が最も多かったのは東南アジアであり、特に海峡植民地のシンガポールを拠点にイギリスは、既存の華僑ネットワークを交易活動などに利用しつつ、マレー半島の錫鉱山に苦力として中国人を導入した。当初は社会の最底辺で苦しむことが多かった彼らは、地縁や血縁で団結して社会的地位を上昇させたが、様々な排外運動に直面すると、本国政府の保護を期待した。その中で、改革運動を支持する者は、利権回収運動などに、弱体な清にかわる強力な政府を求める者は、孫文の指導する革命運動に、資金を提供した。(450字)