02年1月31日
今朝も朝6時過ぎに起床し、長男と折り紙。折り紙は、保育園で幼児教育の一環としてやっていたのと、TVチャンピオンの折り紙王選手権に親子共々感銘を受けたことで、わが家のマイブームに。そして数ヶ月前、『毎日を楽しく彩る折り紙』(永岡書店)という、監修の本をたまたま書店で購入して一気にブレイク(我が家だけ)。この本、グラフィックに凝っていて、折り紙の写真がアートしている。しかも、紹介されている折り紙も、創作折り紙が中心で、内容も、折り紙で作るギフトグッズ、折り紙で作るパーティーグッズ、折り紙で作るダイニンググッズ、折り紙で作るリビンググッズなどなど一味違う。折り紙の世界の奥の深さを、かいま見ている気がする今日このごろ。

02年1月30日
朝6時起床。長男が目覚ましを6時にあわせたため。息子二人に挟まれて寝ていたベッドを這い出て階下のリビングへ。ストーブをつけて部屋を暖める。10分程したところで長男を呼び、さて、二人で何をするかというと、折り紙。場合によっては囲碁(「ヒカルの碁」の影響で、入門書を買ってきて長男と一緒に始めた。連戦連敗でボコボコにされている。まじで悔しい)これがここ数日の習いなっている。しばらく続くか。厭じゃないけど、ちょっと眠い。

02年1月29日 百年の後、浄土また地獄へまかり越し候節は、きっと総理に
を追加。「日清戦争と勝海舟」は、松浦玲『明治の海舟とアジア』(岩波書店、1987年)を参考にした。この書は、日清戦争に終始反対した勝海舟と「文明の野蛮に対する戦争」として日清戦争推進派であった福沢諭吉を対照的に描き出しながら、ありえたかもしれない日本の近代の姿を探っている。勝海舟と近代化論者福沢諭吉の対立は、足尾銅山鉱毒事件にもあらわれていて、本書では田中正造の側に立って足尾銅山営業の即時停止を主張した勝海舟に対して、福沢諭吉が反田中正造の側にあったという、いかにも、という事実も明らかにされている。
近代日本の誤りをどこに求めるか、という議論があって、司馬遼太郎などは、日清・日露戦争までは防衛戦争であったと肯定している。ところが、実際に日清戦争への過程を見ていくと、日清戦争こそが避けることが出来た戦争であり、この戦争こそが、日本の大陸進出路線と帝国主義陣営への参加を決定的にしたのだということが明らかになる。
この視点から、日清戦争の背景を詳細に調べあげ、漫画作品としたのが、我々の世代には機動戦士ガンダムのキャラクターデザインで有名な安彦良和『王道の狗』独立党の指導者金玉均の、甲申政変後の足跡なども巧みに物語りに取り入れられていて、『坊ちゃんの時代』シリーズの関川夏央・谷口ジローコンビとはまた別の角度から、明治という時代を考えさせてくれる。僕の友人である日本史講師の竹内睦泰氏も絶賛の傑作。未読の人は是非。


02年1月28日
地図の部屋にアフリカ白地図(国境付き)を追加。
*現在は地図の部屋は容量の関係で閉鎖中です。

02年1月27日
駒場校への出講途中立ち寄った吉祥寺の書店で、山田風太郎『戦中派虫けら日記』(未知谷、1994年)と古川日出男『アラビアの夜の種族』(角川書店、2002年)購入。『戦中派虫けら日記』は、長年探し求めていた書。3000円。『アラビアの夜の種族』は、が自分のホームページで絶賛していたので。2700円。両書とも、お釣りが来るのは先刻承知。が、両方を一度に買うと、流石にしびれた。
でも、ハードカバーの初刷りが普通7千部(そういや、『明中立大・世界史』もそうだった)という現在の出版状況と、常識的には定価の一割の印税と、書くために費やした時間と労力を考えれば、書き手の側ではこの値段でも全然割りにあわないんだよな。
 しばし、本の値段というものについて思い悩む。


02年1月26日
本村凌二『馬の世界史』(講談社現代新書)読了。馬と人類史のかかわりの概説書。本人があとがきで「書くことそのものを楽しんだ」と記しているが、その楽しみが読み手にも伝わってくる好著。中盤の遊牧民族の部分は、モンゴル史の杉山正明説を導入して世界史における遊牧民の活動を重視する視点が紹介されている。杉山正明と言えば、モンゴルモンゴルと強調しすぎる気がなきにしもあらずだけど、本書などを読んでいると、従来のモンゴル史の定説を塗り替えた功績はやはり大きいなと、妙なところで感心してしまった。個人的には、19世紀以降の競馬が本格的に始まった時代の、競馬を中心とする社会史に興味があったのだけど、その部分は駆け足で終わってしまっていたのが残念。ページ数の制約など考えると、ないものねだりなのは重々承知しているのだけど。
ちなみにモンゴル史の杉山正明は世界システム論の川北稔(システムシステムと強調しすぎる気が無きにしも)とオスマン帝国史の鈴木(オスマン帝国オスマン帝国と)などとともに、帝国書院世界史B教科書の執筆の中心。おかげで帝国書院の世界史B。今最も先鋭的な(さすがに受験屋である当方からすると先鋭的過ぎるくらいの)教科書に仕上がっています。


02年1月24日 そうだったのか!
大学入試センターの平均点中間発表では世界史Bは60.02点。89年以来、過去最低となっている。あのどこかふっきれたテーマ設定に加え、戦後史の出題が8問あったことも原因か。ここ数年間は、戦後史の出題数は低く抑えられていて、全国高校校長会の要請の影響か、という見解もささやかれていた。ただ、世界システム論論など、どのようにして我々が生活するこの今の世界が成立してきたのか、を重視する「現在を理解するための」世界史が隆盛になっている現状を考えると、今に直結する戦後史の出題を抑制し続けることは、やはり無理があったのだろう。
ちなみに、手っ取り早く戦後史を理解したい人へのお勧めとしては、何といっても池上彰『そうだったのか!現代史』(2000年の年末に集英社から出版、現在姉妹編の『そうだったのか!日本現代史』が書店で平積みになっている)。著者は「週間こどもニュース」の「お父さん」。
とにかくわかりやすく、読みやすく戦後史の諸問題が解説されている。僕は出講した全てのクラスで現物を回して紹介しました。まだ持っていない受験生諸君は書店へ急げ!


02年1月23日
地図の部屋に朝鮮半島と周辺地域を追加
*現在は地図の部屋は容量の関係で閉鎖中です。

02年1月22日 繰り返す過ちを 照らす灯を
イスラエル軍が自治区に侵攻し、自治政府が国際連合の安全保障理事会の招集とアメリカ合衆国の仲介を要請、というベタ記事を朝日新聞の国際面に発見。暗澹たる気分に。
数日前、自民党の山崎幹事長一行がイスラエルとパレスチナを訪問し、それに併せて朝日新聞がアラファト議長への単独インタビューを行った。それは良しとしよう。パレスチナ自治政府と会談して、イスラエル占領地域への国際監視団派遣に前向きな発言をした幹事長一行が、その後の公式記者会見で、個人的見解であって国家としての見解ではないと釈明した事実も12月の国際連合の安全保障理事会での議決結果(一応、これも事実関係だけは、小さな記事ではあったが報道されていた)とからめて報道していた。そこまでは良しとしよう。
では、なぜ一般読者がわかるように、この事実の背景にあることを解説しないのか。この事態がどのような意味を持つのかを訴えようとしないのか。
12月に召集された安全保障理事会で、イスラエル占領地への国際監視団の派遣が提案された。
安全保障理事会理事国15ヶ国のうち、賛成は圧倒的な12ヶ国。棄権は2ヶ国。そして反対は、わずか1ヶ国。ところが、わずか1ヶ国の反対で、この極めて真っ当な提案は、葬り去られてしまったのだ。棄権は第一次世界大戦中のフサイン−マクマホン宣言サイクスピコ協定バルフォア宣言でパレスチナ問題の根本原因を作り出したイギリスと、パレスチナ暫定自治協定につながるオスロ合意を仲介したノルウェー。そして唯一の反対国で拒否権を行使したのは、もちろんイスラエルの最大の援助国であるアメリカ合衆国。そして、現在、イスラエルとパレスチナ自治政府の仲介をつとめるのが、安全保障理事会の決議にただ一国だけイスラエル側に立って反対したアメリカ合衆国であり、パレスチナの人々は、イスラエル軍の侵攻に対してそのアメリカ合衆国に仲介を求めざるを得ないというこの逆説。これでアメリカ合衆国の中立と公平性を、国際社会の正義をパレスチナの人々に信じろ、というのは、いくらなんでも非道い話ではないのか。
そして、自民党の幹事長一行。ひょっとすると安全保障理事会の議決自体を知らなかったのではないか。だから、後であわてて釈明するはめになったのではないか。余りに勉強不足。そして、釈明の背景にはアメリカのごきげんを損ねないために、あわててご注進に及んだ外務省の担当者がいたと考えられる。
しかし、この問題では、フランスもロシアも中国もアメリカに反対して国際監視団派遣に賛成している。パレスチナ自治政府に対する最大の援助国家である日本が、これらの国とともにアメリカとイスラエルを批判しても、外交的に何か問題があるのだろうか。日本はそこまでアメリカの属国でなければならないのか。
ところが、問題の存在自体を、日本では政治家を含めてほとんどの人が知らない。それは、客観報道の名の下でのマスコミの怠慢なのではないか。社会的正義に向けて世論を喚起することがジャーナリズムの使命だったのではなかったのか。


02年1月21日 言葉では言えない
昼過ぎからかみさんが熱を出したので、保育園への子供の出迎え、夕飯の準備に追われる。ホイコーローと、里芋と大根と豆腐の味噌汁。家事が日常になっていない自分を痛感し、またまた反省である。
を追加。


02年1月20日 頑固者だけが悲しい想いをする
センター試験世界史Bの問題を見て驚く。第1問世界システム論、第2問ネットワーク論、第3問国家論、第4問Bアナル学派の影響を受けた社会史思想によるフランス革命理解と、まるで発展段階説以後の「新しい世界史」の主張の見本市のような作問。実際の解答作業はこれらの考えを知らなくても解けるように配慮されているとはいえ、山川出版の『詳説世界史』(長らく受験世界史のスタンダードであったが、「新しい世界史」の潮流に取り残されていることでも定評あり)で、昔ながらの世界史の授業を受けてきた現役の受験生は、さぞや戸惑っただろう。山川も世界史Aでは、新しい学説に配慮した魅力的な教科書を作っていて、2年後に迫った新課程移行に備えて、その執筆メンバーを中心にすでに『詳説世界史』を一から全面的に作り直していると聞く。「引導を渡す」という言葉が脳裏に浮かぶ。
地図の部屋を全面改正し、世界各地域の白地図のダウンロードを可能に
*現在は地図の部屋は容量の関係で閉鎖中です。

02年1月19日 友達の友達は
我が家にて5家族19名による新年会を決行。全員保育園つながり。大人9名に対し子供10名なので流石に居酒屋その他では無理があり、ホームパーティーとなったもの。子供たちは大興奮してうちにあるあらゆるおもちゃを引っ張り出して騒ぐ騒ぐ。大人たちも他の客に気兼ねして、ということがないので、リラックスして会話が弾む。そのうち、徒歩数分のご近所で、某メーカーで電子楽器の開発をやってるが、結構な読書家でもあることが判明。で、音楽関係者つながりで、元SFマガジン編集長の栗本薫の旦那(結構な音楽愛好者でもあると評判)と3回ばかし飲んだことがあると。栗本薫の旦那と言えば、僕が青山ミステリ(別名青山学院大学推理小説研究会、略称推理研。プロ作家が何名か出ていて、一番有名なのは菊地秀行)の編集長で同人誌の100号記念号を出した時「日本SF界の死」といった内容の座談会を企画(今から思うと、若いというのは罪なことであるな)して見本をSFマガジンに送りつけたら、激怒してわざわざ学生の同人誌に対する批判記事書いた人だ。縁とも言えないような縁だけど、意外なところで意外な名が出てきてびっくり。つくづく世間は狭い、という話でした。


02年1月18日 世の中はいつも変わっているから
河合塾の前期(基礎シリーズ)講義編テキストの編集会議。山内担当分は中世後期から近世(近代前期:16世紀から18世紀あたり)。ここでついに、テキストの執筆方針が従来のマルクス主義発展段階説的な絶対王政→市民社会論から、現在流行りの論へと変更。こだわりのある方もいらっしゃるでしょうが、予備校業界としては現在の歴史学の、ひいては大学入試問題の流行がそうだからしかたない。マルクスよさらば
いわゆる西欧の大航海時代(現在では主要海域の一体化で世界的に商業活動が活発化した時代として“商業の時代”とする考えが有力)による世界の一体化も、西欧が他の地域を経済的に支配・従属の関係に組み込んでいく過程として16世紀以降の歴史を理解する「世界システム論」の視点を採用。
「世界システム論」は、現在の南北問題の社会がどのようにして成立してきたかを、上手く説明することができる。同時多発テロで再び我々の前に突きつけられた世界の富の偏在や、グローバリズムと表現された世界資本主義の進展が、ますます世界的に貧富を拡大している現状も、批判的に明らかにしてくれる。だから、現在流行っているわけだけど、個人的にはなんでもかんでも世界システムで説明するのは、行き過ぎだと考える。その地域独自の内在的要因を無視しがちだし、主権国家体制に組み込まれていく過程で、各地域がいかにして欧米で生まれた国民国家のモデルを、自地域の歴史的特性の中で再構築しようとしたか、というもう一方の重要な視点も軽視しがちになるからだ。両者をバランスよく持った上で、なおかつそれを万能視せず、個別の歴史現象の特異性に注意を払う姿勢が本当は必要なんだろうな。

02年1月17日追加 明日はきっと晴れ
事態を前向きに捉えようと、いろいろ考えてみる。
昨年は例年に増して忙しく、心身ともに追い詰められていた。朝、子供たちと顔を会わせている時も、睡眠不足で苛ついていることが多かったと思う。土日も、〆切の仕事を抱えて、潰れてしまうことが結構あった・・・。
あらら、おいらって立派な仕事中毒の駄目親父じゃん。薄々気がついてはいたけど。今冷静に振り返るとホントにひどいな。
少なくとも、今年はそういう状況が緩和される。駄目親父ぶりも、少しはましになるだろう。
それに仕事の内容も、頼まれ仕事から、例え今は利益にならなくとも、本当に自分でやりたいと考えていた様々な企画を実験する機会が増える。気になっていた本を読む時間も。
きっと、そろそろ充電しなければならない時期だったのだ。

02年1月17日 去りにし日々、過ぎ去りし思い出
予備校講師を仕事とした初期から、ずっと出講していた秀英予備校を去る決意を固める。断腸の想い。が、不必要に繊細で不器用な反抗期の息子を持つ父親として、平日週5日、常に朝の数十分しか顔を会わせない状況を少しでも改善するために、出来ることは、と考えると。


02年1月16日 グリーンプラネット
昨日から今日にかけてとっても厭なことがいろいろあった。こういう時はマンガだ!
今回の一品は榛野なな恵『PaPa told me』。ヤングユー連載。手元にある第一巻の初版が1988年。僕が持っているのが1992年の版だから、今から14年前に始まったストーリーを10年前から追いかけて読んでいることになる。
内容はというと、男やもめの作家のお父さんと暮らす一人娘の小学生の知世ちゃんの奮闘を描くちょっとファンタジーが入ったハートウォーミングな物語、てん、てん、てん、まる。
おどれはいい歳してなんちゅうもんを読んどんじゃー」と、思い切り方言で罵声が飛んでくる気がする。いや、僕の心の深奥から確かにそういう声がしてるんですけど。
でも、このシリーズ、よくできてる。特にうまいなー、と思うのは、「悪意」の描き方。世の中には不必要に繊細で不器用な人がいて、そしてそういう人には耐えられない様々な悪意が世の中にはある。その何気ない悪意が、あるあるこういうの、ととってもリアルに、掬い上げられている。で、その悪意に傷ついた登場人物が、知世ちゃんの活躍などで、回復のきっかけを得る、というのが、物語りの基本的なパターンの一つ。読んでる方も、ちょっとだけ救われる。


02年1月14日 天に唾する者
谷田和一郎『立花隆先生、かなりヘンですよ』読了。「知の巨人」とされる立花隆の、特に理系的な素養における浅薄さとトンでもぶりを批判した本。まあ、立花隆については、同時多発テロに関する文藝春秋の特集で、イスラムについて書いていた文を読んで、「サラセン帝国」なんて今ではほとんど使われない用語を平気で使っているセンスと内容の薄さに「ありゃりゃ」と思っていたところだったので、そんなもんだろうと納得。
それでも、今回の同時多発テロを、イスラムに対する歴史的理解から始めようという姿勢は評価している。少し調べればわかるはずなのに、イランもイラクもサウジアラビアもアフガニスタンのタリバーンも、同じイスラムという枠で括ってすましている報道や論が多すぎる。
原理主義と見られがちなイランのイスラム勢力が、専制政治を批判し、立憲制の改革を主張したパン=イスラーム主義の提唱者アフガーニーの影響もあって、19世紀末のタバコ=ボイコット運動や1905年からのイラン立憲革命を主導したのであり、イラン=イスラム共和国となった現在でも、イランは選挙による大統領の選出が行われ、選挙による議会が機能している、イスラム世界では最も「民主的」な国の一つであること。
対照的にサウジアラビアの国是であるワッハーブ派は、18世紀に起こったイスラム復古運動、純化運動でシャリーア(イスラム法)に基づく国家建設を唱え、タリバーンに象徴されるようなイスラム原理主義の源流となった運動であること。
実際にタリバーン政権を承認していたのは、ワッハーブ派のサウジアラビアと、ワッハーブ派のアラブ首長国連邦と、タリバーン政権出現の原動力となったパキスタンの3ヶ国だけで、パキスタンに関してはイギリスに対するインドの独立運動が、ヒンドゥーとイスラムの対立を激化させ、その過程でインドのイスラムがワッハーブ派の影響を受けて原理主義的色彩を強めてヒンドゥー教中心のインドと分離独立してできた国であって建国の由来からして原理主義的国家であること。
しかもワッハーブ派は、イスラムの革新を全て否定する復古主義の立場から、シャリーアに代わる法を創出する可能性のある議会政治を否定し、結果としてサウジアラビアのサウド家の専制政治を許容していること。そもそもワッハーブ派は創始者ワッハーブサウド家の支援を受けて運動を進めたので、一面で専制権力と癒着する傾向があり、実際サウド家はワッハーブ派の思想を隠れ蓑に憲法も議会もなく、女性の社会進出もいっさい拒絶する(自動車の運転免許取得も認めない)イスラム世界において最も非民主主義的政権を維持していること。
その専制支配の帰結としてサウジアラビアの王族が腐敗堕落していること。1979年イランイスラム革命に対して革命波及阻止を口実にイラクサダムフセイン政権がイランに対してイラン・イラク戦争を仕掛けたとき、イラクに資金援助を行ったのはサウジアラビアだったこと。「宗教革命」の波及を恐れて、との解釈が一般的だったがそもそもイスラム原理主義に立つサウジアラビアが「宗教」の影響力拡大を恐れるいわれはなく、サウジアラビア(の支配者)が恐れたのは、イラン革命に含まれていた専制政治を否定する「民主的な」要素だったこと。
したがって、「自由と民主主義」を標榜し、イスラム原理主義を批判するアメリカの正義は、「自由と民主主義」を真っ向から否定する、イスラム原理主義の本家本元であるサウジアラビアを最大の同盟国・友好国としている限りにおいて、イスラム世界からは冷笑を持って迎えられざるを得ないこと。一方サウジアラビアにおいても、自分たちの国家原理と最も異なるアメリカを同盟国とし、アメリカ軍の駐留を認め、しかもワッハーブ派を専制と特権維持に用いる王族に対する不満が醸成されつつあること。従って、オサマ・ビン・ラディンを初め、同時多発テロのメンバーを最も多く出したのは、イスラム世界におけるアメリカ合衆国最大の同盟国サウジアラビアであること。
アメリカ合衆国においてもようやく、どうやら問題の根源はサウジアラビアにあるらしいとの認識が拡がり始めたこと。
これくらいのことは、この同時多発テロ事件とその影響について何かを語ろうとする人間にとって、「常識」であって欲しい。ちなみに赤字大学入試世界史の基本知識です。


02年1月13日 忘れたい夜に
友人一家が遊びに来て、久しぶりに夕食を作る。典型的な男の手料理で、メニューはハヤシライスとサラダ。ハヤシライスと言ってもルーは市販のものを使うから、何のことはない、ルーが違うだけで、調理法はカレーライスと同じである。ニンニク一片を刻んで、みじん切りにしたタマネギとニンジンとともに炒め、取り出したあと、薄切り肉を赤ワイン少々で炒める。炒めたタマネギとニンジンを戻して水2カップを加えて煮立ったところでトマトの角切りをぶち込み隠し味にコーヒーを半カップ。最後に別茹でしていたジャガイモを加えて火をとめて、ルーを加えて弱火で少し煮て8皿分のハヤシライスの出来上がり。サラダの方も、千切りにしたニンジンと赤ピーマンにゆで卵を崩してまぶして生協のポン酢醤油ユズ風味をドレッシングしておしまい。
料理を作るときは、たいてい煮詰まっているか、何か忘れたいことがある時で、今回も15日に迫ったテキストの〆切の前にアイデアが浮かばず、七転八倒したあげく、料理に逃げた。ジャガイモの皮を剥いて、ついでに面取りをしていると、見ていたかみさんと友人のかみさんに笑われてしまった。時間のない家庭の主婦の料理では、普通そんな面倒くさいことはしない、やっぱりたまにしかしない男の手料理だ、と。確かにその通りなんだけど、でも時々効用があって、ジャガイモの皮むきをやっている時に突破口が開けることもある。ただし、心のどこかでそれを期待してると駄目。駄目な方が多い。今回も。


02年1月12日 一人ではいけない
息子が行っているの行事である青梅市の七福神詣でに家族全員で参加。羽村市に居を定めて最大のヒットはこの保育園に出会えたこと。感性と肉体の基本を、とにかく鍛えてくれる。毎月1度、卒園生も参加する登山などの行事があり、今回の七福神詣でもその一環として行われた。全行程なんと16キロ。参加者中、最小年齢は3歳。うちの下の息子だって4歳だ。それが16キロを歩き倒してしまうのだからこれはやっぱりすごいんではないだろうか。
さて、七福神詣では大黒天、恵比須、毘沙門天、弁財天、布袋、福禄寿、寿老人の七体の福の神をそれぞれ祭る七つのお寺をまわる行事で、無神論者を自認する私も、そこはそれあいまいな日本人の常として、福禄寿や寿老人では無病息災を、布袋や恵比須や大黒天では、工房李香の商売繁盛(いよいよ今年の3月には有限会社にする予定)を、仏法を守る四天王の一である毘沙門天では降りかかる火の粉から身を守る力を祈願し、学芸の神でもある弁財天では、息子たちに学芸の神が憑くことをけっこう真面目に祈ってしまいました。わはは。
ところでこの七福神、由来も雑多な神様たちを、福の神という1点で無理やり集めてしまったものだけど、すでに室町時代には出来上がっていたそうな。それにしても、大黒天なんて、もとはと言えば、ヒンドゥー教破壊神シヴァだったりするわけで、文化の伝播と受容の多様性にあらためて感じいってしまった次第。実際今回の七福神詣ででも、大黒天を祭っている寺で、普段は秘仏とされているインド風の大黒天の本尊が、1月20日までの期限付きで公開されていて、本堂の奥の部屋に普段隠されているそれを見てみたならば、やっぱり髑髏の首飾りをした三面憤怒のシヴァ神像だった。表に安置されている頭巾をかぶり、左肩に大袋、米俵を踏まえる福の神の像とのギャップは、これは一体なんなんだ。



02年1月9日 命に付く名前を心と呼ぶ
1月8日にセンター直前の授業で駒場校へ。たまたま地理の福田先生が同時間同テーマの授業でいらしていたので、新年の挨拶を交換。その後紅白に出ていた韓国の女性歌手キム・ヨンジャに、中島みゆきの「命の別名」を歌わせてみたいという話で盛り上がる。
「命の別名」は、障碍者問題をテーマにした「聖者の行進」というTV番組の主題歌で、アルバムでは「私の子供になりなさい」と「大銀幕」に収録。
いや、これが凄い歌なんだわ。
個々人の人間の存在のどうしようもない小ささと哀しさと、それに対するぎりぎりのところでの肯定、
何かの足しにもなれずに生きて
何にもなれずに消えていく
僕がいることを喜ぶ人が
どこかにいてほしい

と、人類の愚行に対する憤り、

くり返すあやまちを照らす 灯をかざせ
君にも僕にも すべての人にも

を、中島みゆきが激情を押さえ込みながら歌い上げていく。で、その激情の質が、ほとんど「殺気」に近い。少なくとも僕は、聴いていて戦慄を感じた。
が、中島みゆきの純粋な「歌手」としての資質(声量とか声質とか声域とか)を考えた場合、上回る歌い手はいくらでもいるわけで、そういった歌手に「命の別名」を歌わせてみたらどうだろう、ということが、我々の間で以前から話題になっていた。
ところが、日本人の歌手を挙げていって、誰が歌えるか、といった時にいないんだね。加藤登紀子でも駄目だし都はるみでも駄目。一人称が「僕」のユニセックスな歌だから、男性でも歌えるはずなんだけど、この歌の深みを表現できる歌い手となると・・・。その時福田先生が、韓国・朝鮮系の歌手ならどうだ、と言い出した。「恨」を表現することが歌手としての命題である韓国・朝鮮系の歌手ならあるいは、と。
で、冒頭の紅白に出ていたキム・ヨンジャなら、という会話になったわけだ。
中島みゆきの「命の別名」がTVから流れていたころ、世の中はまだバブルの残り香に包まれていて、この歌の価値も見逃され、中島みゆきの他の歌と比べても、世間的な認識は低いと思う。端的に言ってヒットしなかった。早過ぎた歌だったかもしれない。
けれど、同時多発テロ以来、名も無き多くの命が、「正義」の名の下で行われる愚行に飲み込まれようとしている今こそ、時代は「命の別名」を求めているのではないか。キム・ヨンジャの歌う「命の別名」を。

02年1月8日 今こそ人の温もりを
1月3日から1月7日までの冬期講習終了。これで、今年度の正規の授業はすべて終了。
あとは単発の特別授業だけ。
それにしても、この間の横浜校の1現はきつかった。準備の必要から授業開始前40分に講師室に入ることを目標とすると、逆算して羽村市の我が家を5:50分には出なければならない。
起床は5時20分。眠い。普段の授業は、全て午後から組まれているので、早朝出勤に身体が全く慣れてくれない。
そして・・・寒い。この間寒気の南下というありがたい自然の配慮にも恵まれ、常に気温は零下。
自転車で震えながら駅まで行って、芯まで冷えきってようやく電車に乗る。
やっとここで一息・・・つけない。
寒いのである。新年早々の早朝の電車って、全然人が乗っていなくて、外とほとんどかわんないくらい寒いのである。冷気が足元から這い上ってきて、寒すぎて居眠りもできない。
人間って温かいって、ホント痛感。

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