春秋期より,鉄製農具・牛耕が普及して生産性が向上し,家族単位での農業経営が可能となった。そのため,邑(城壁などで囲った集落)における氏族共同体の土地の共有と,共同耕作の伝統が崩壊した。また,諸侯は富国策で新開地の開発を進め,家族単位で入植した農民に土地を配分して独立自営農民とし,納税と軍役を負担させ,これらの土地を県として,役人を派遣して直接管理した。一方,変質した邑も,新たに県に再編していった。この結果,邑の授受と,氏族的な血縁秩序に基づいていたは崩壊して郡県制が普及するとともに,唐中期まで続く自営農民を基盤とする国家体制が成立した。
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