ペトラルカ(1304-1374)
最初の人文主義者と称される叙情詩人。父はダンテとともにフィレンツェを追放された公証人であった。が美少女ベアトリーチェへの思慕を『神曲』のモチーフにしたように、彼は教会のミサで知り合った貴婦人ラウラへの想いを『カンツォニオーレ』に代表されるイタリア語の叙情詩に託し、一躍ダンテ以降の最高の詩人としての名声を得る。しかしペトラルカの本領はむしろ古典ラテン語研究にこそあり、当代最高の知識人として、古典文化復活という意味でのルネサンスを準備することになる。「最初の人文主義者」「人文主義者の父」などの呼称は、ここに由来する。またイタリア統一を願う愛国者であり、神聖ローマ皇帝カール4世(金印勅書の発布者)に統一イタリアの復興を働きかけたがかなわなかった。絶えず諸国を旅行して、宮廷を渡り歩く生涯を送ってルネサンス文化人の生活スタイルを確立。70歳の誕生日のその日に死亡。遺言によって遺産の一部が親友に贈られた。